私の反対意見については前のページに記しました。
ここでは、何とか日本に夏時間(サマータイム)を導入しようとしている皆さんの、妙な理屈付けについて書きます。そもそも日本で実施するのは全く意味が無い制度ですから、理由と利点は後付けやこじつけばかりになるのは必然です。賛成論者の方々は、これら理由にならない理由を挙げて賛成しているのが常です。目立つものを いくつか取り上げてみたいと思います。
このリストは、「意味の無い賛成論」を見分ける指針にもなるのではないかと思っています。賛成論者の書いていること・言っていることに これらの言い分が出てきたら、もう その瞬間に、その人は さしたる考えも無しに こじつけで賛成しているだけと判断できます。
夏時間の実施で節約できるのは“夕方の時間帯の照明一時間分”だけです。しかも、照明の中でも“外の明るさに合わせて こまめに入り切りをしているもの”に限られます。
現代社会では、照明以外にもエネルギーを消費しているものは沢山あります。それらの節約には夏時間は何ら寄与しません。冷房の節約を主張する意見もありますが、夏時間の実施で気温は下がりません。
だから日本は遅れている国なのである、という内容の文言が付け加わる場合もあります。
夏時間は、地理的条件や気候的条件によって その実施を決めるべきもので、国の成熟度や発展度とは全く関係がありません。日本では実施しても意味が無いから実施していないだけであって、遅れているわけではありません。
OECD加盟国の構成は、欧州と その周辺の国々、また、欧州と歴史的に密接な関係がある国々に偏っているため、必然的に夏時間実施国が多くなります。たまたま夏時間の思想を受け入れやすい条件の国々が 所謂“先進国”になっていることが多いだけで、夏時間の実施が発展に繋がったのでは ありません。また、夏時間の非実施が発展を妨げているものでもありません。
だからグローバルスタンダードである、という文言が付け加わる場合もあります。
この地球上には、(数え方によって多少の増減は生じるようですが)200近くの国があります。実施しているのが その中の70カ国だとなると、それは完全に少数派です。「夏時間の実施はグローバルスタンダードである」という主張が成り立つなら、「夏時間の非実施はグローバルスタンダードである」という主張も同様に成り立たなければなりません。
ともあれ、実施国の多少も 夏時間の導入理由には関係ありません。地理的条件や気候的条件によって決めるべきものです。
現状の“年二回の時差のズレ”が 何かの弊害を引き起こしているという話など、聞いたことがありません。個人的には、そんなことによる弊害など、取るに足らないものでしかないと考えます。どのみち外国との間には時差が避けられないのですから、それが一時間変動しようがしまいが、計算したり考えたりする手間が掛かるのは一緒です。
現在、北半球と南半球の夏時間実施国の間では“年四回の時差のズレ”が発生しているのですが、そのことで弊害が生じているというような話も全く聞きません。中には、同じ国の中で実施している州としていない州が入り混じっているような国もありますが、それらの国で目立った混乱が生じているようなことも聞きません。
また、実施した場合、今度は(遙かに数が多い)夏時間非実施の国々との時差のズレが年二回発生してしまいます。もし何らかの弊害が生じるのであれば、実施前も実施後も 事情に変わりは無いことになります。
一日の長さは24時間のままで変わりません(25時間になるのは、夏時間から通常時間へ戻す日だけです)。今まで充実していなかった時間が充実するということは、その分、どこか他のところを削らなければなりません。
夏時間を実施したからと言って、自動的に余暇は充実しません。働く環境や住環境、そして、個々人の上手な時間の使い方などが組み合わさって、初めて充実します。
加えて、日本の暑くて雨の多い夏のことも考えなければなりません。そのような気候的条件の下で、本当に夕方が“充実した余暇”になるのかは、これまでの欧米諸国の実例からは断言できないはずです。
また、暑さの厳しい夕方ではなく、比較的涼しい朝方に余暇を楽しむ人もいます。その人たちを置き去りにするのは、配慮に欠けた議論です。
この意見を言われた時には、一般の人々の活動が今と全く同じまま一時間前にズレるだけ、という前提が暗黙のうちに置かれていることに注意する必要があります。これは、「夕方の時間の余暇が充実する」の意見と完全に矛盾します。夕方に遊ぶ人が増えれば、そのぶん交通量が増えてしまい、結局、交通事故の危険などは変わらないことになります。それに、おそらく犯罪者の皆様は、活動時間を夕暮れに合わせて一時間遅くしてしまうだけでしょう。
夕方に遊ぶ人が本当に増えるかは置くとしても、時刻をズラすことが事故や犯罪の全体的な減少に繋がるとは思えません。“もともと夕暮れだった時間帯”の事故や犯罪に限っては減るかもしれませんが、その後の“新たに夕暮れになった時間帯”での発生は逆に増えるかもしれません。
私も非常に面白いなと思ったのですが、警察庁のウェブサイトで公表されている統計などを見ると、刑法犯罪や交通事故の発生は、確かに夕方の時間帯が一番多くなっています。人間は、夕暮れになるとヘンなことをしたがる生き物のようです。
しかし、その他の時間帯に比べて突出して多いかと言うと、そうは言い切れません。せいぜい、全体の中の比率にして数パーセント多いくらいです。深夜から早朝にかけての時間(人が活動しない所為か、極端に発生が少ない)を除けば、時間帯によらず一定量の発生は認められます。
たとえ本当に夕方の時間帯の犯罪や事故が減少したとしても、それだけでは根本的な問題の解決にはなりません。そもそも、冬は元に戻してしまうのですから、このことを導入目的の一つとして挙げるのは無理があります。
社会の状況は確かに大違いでしょう。
しかし、地理的・気候的条件に違いは無いはずです。むしろ、温暖化とやらで、気候的条件は 不適格な方に変わっています。猛暑や豪雨の元で実施することに、何も利点はありません。
確かに それは一理あります。欧州で最初に考案された時も、おそらく そのような考えが あったと思います。
しかし、そういうことを言い出すなら、冬の夕方、陽が沈んでから明かりを点けて起きているのも勿体ない、と言わなければ不公平です。なのに、冬は遅く起きて早く寝るようにしようじゃないか、と言い出す人は居ないのです。夏は 人為的に作られた“時刻”というものに反抗して自然の太陽に身を任せろと言うくせに、冬は“時刻”にそのまま従って自然を無視していて構わないというのは、ずいぶん乱暴な話だと思います。
これらの実験で行われたことは、“有志が集まって、周りよりも一時間早い時間帯に行動してみた”というものです。日本の時刻が一斉に一時間進められる夏時間とは本質的に別のものであり、夏時間導入の指針とは なり得ません。
こうして並べてみると、いかに賛成論者の言っていることの根拠が薄いか、良く分かると思います。
こじつけに こじつけで返しているような面もあることは認めます。しかし、簡単に反論できてしまう理屈付けばかりであるのは確かです。
繰り返しますが、賛成論者が並べ立てている理由や利点は、後付けであり、こじつけです(全てとは言いませんが、ほとんどが そうです)。日本で実施することには何の意味もありません。環境や経済、果ては交通や治安までを引き合いに出して、分かっていない人達や中立の人達を騙そうとしているのです。これは、体の良い詐欺です。決して騙されてはいけません。