徒歩・徒然

2001年9月上期


2001年9月2日(日)

遊んでばっかりで すみません。
anishijiクンと2人で、「関西プロ野球観戦ツアー」というアホな企画を実施して来ました。

関西に本拠を置くプロ野球球団は、阪神(甲子園)・大阪近鉄(大阪ドーム)・オリックス(グリーンスタジアム神戸)と3つあります。この3球団が まとまって本拠地で試合をする日程を見計らって、3日間で見て回ろうという物好き企画です。

鉄道で行けばいいものを、関西まで車で出掛けました。
出来ることなら料金のかかる道路は使いたくなかったのですが、仕事と日程の都合で、行きは新潟から北陸道に乗り込みました。

 8月26日 大阪ドーム (大阪近鉄×日本ハム 24回戦)

東京ドームで野球を見ると、僕は 何となく しっくり来ないものを感じました。
ここは東京ドームよりは格段に良い球場ですが、それでも、でっかい体育館のような所で野球をやられると、なんか違うんじゃ、という気になります。いい球場なんですけどね。屋根が無ければ もっといい。

ローズのホームランも飛び出し、岩隈の要所を締めた投球も光って、7対2で大阪近鉄の勝ち。

 8月27日 グリーンスタジアム神戸 (オリックス×西武 22回戦)

内野まで芝生が敷かれたグラウンド。フェンスが低く選手が身近に感じられるスタンド。そして、なんと言ってもグラウンドの上に広がる夜空に光る月。
久し振りに「ナイター」の雰囲気を味わうことが出来ました。ホットドッグも美味しかった。素晴らしい野球場です。ただ、スタンドはガラガラでした。2階席なんか、人が ほとんど居ません。もっと見に行ってあげましょうよ。

マクレーンが見事なホームランを打って存在感を示しました。7対3で西武の勝ち。オリックスは7連敗。「まいにちまいにち負けてばっかりやー」という うんざりしたような野次が飛んでいました。

 8月28日 甲子園 (阪神×巨人 23回戦)

やっぱり、甲子園の阪神の応援はタダ者ではありません。
この日、我々は1塁側外野寄りの内野席に居ました。最終回まで阪神は いいところがありませんでしたが、桧山の2ランホームランでスタンドが ようやく 盛り上がりました。
そして、盛り上がったら最後、もう 我々も冷静では いられません。俄か阪神ファンは、立ち上がって手を叩いて、周りと一緒に大騒ぎしたのでありました。

しかし結局、阪神の得点は それだけ。4対2で巨人の勝ち。

 おまけ あじさいスタジアム北神戸 (神戸×阪神)

甲子園に行く前、時間があったので、急遽、見に行くことになりました。住宅街の真ん中にある、小さな野球場です。
阪神の2軍は絶好調で、この日も、サーパス神戸は手も足も出ていませんでした。

甲子園へ移動する時間が せまっていたので、試合を見ていたのは途中まで。阪神のピッチャー藤田太陽を見られたのが幸運でした。


帰り、いろいろありまして、高速を埼玉まで ひた走り。その後は ひたすら一般道を通って、日本アルプスの辺りを ぐるっと回ってから 秋田に戻りました。
通過した都府県、占めて19。距離計は、2800kmを越えていました。どうも、ご苦労さん。


2001年9月3日(月)

NTごと入れ直してみたんですが、相変わらず STOPエラーが起きます。
まさか、物理的な問題なのですか?


2001年9月5日(水)

はじめに比べると、だいぶ安定してきました。しかしながら、まだ時折 STOP します。

どうも、symantecInternet Security 2001 Version 3.0 に問題があるような気がしてきました。こいつを入れると、IME のツールバーが2本になるなど、不思議な現象が起きます。だいたい、インストールの時点で Internet Explorer 4.01 SP1 以上を要求したりするのも なんか おかしい。こういうソフトは それだけで独立して動いてくれなくちゃ。
外からの攻撃をいくら防いだところで、自分が入ってる箱のシステムを壊してたんじゃ意味ないじゃないですか。


Harry Potter を「ハリポタ」と略すとは、今日只今、初めて承知仕りました。


2001年9月6日(木)

もう何をやってもダメで、万策つきました。
NT 4.0 が機嫌を直さないなら NT 4.0 をやめてしまえと、思い切って Windows 2000 を導入しちゃいました。
とりあえず今の所は安定して動いてるみたいなので、当面これで行きたいと思います。

と簡単に書いてみたものの、けっこう時間が掛かりました。
我が家のマシンは、日本を見捨てた Gateway2000 の自作キットです(Select シリーズってヤツに当たるらしい)。ソフトウェアアップデートなどのサポートが不親切なので苦労しました。
モデムは もう 使わないから外します。せっかく Soundblaster Live! が差してあるんですが、Windows 2000 対応のドライバが入手できないので別の安いサウンドカードに入れ替えて。結局、元々ついてたカードで残ったのはビデオカードだけ。BIOS のアップデートは 多分 しなくて良いのでしょう。
そして Windows 2000 をインストールし、周辺機器のドライバを突っ込んで行きます。SCSI インターフェースに ASPI ユーティリティを入れ忘れて、フィルムスキャナが動かない事態になったりもしました。

ま、最終的には うまく行ったみたいです。
Service Pack も導入して、CodeRed の対策もしたつもり。
ついでに 20G のハードディスクを増設し、データ保存用ディスクとして使うことにしました。

これで勘弁して下さい。ちゃんと動いてくれ。もうパソコンと格闘するのは嫌です。


2001年9月7日(金)

帰り道、なんだか知らないけれど、眼に じんわりと涙が にじんで来ました。

わけは分かりません。一日じゅう一人で仕事をしていたあと、一人で金曜日の夜の町を歩いたからでしょうか。

もう少しで本当に泣く所だったかも。わけが一つも分からずに。

そしたら、空から雨が落ちてきました。傘を差して歩くうち、僕の涙は引っ込んで行きました。

夜空が代わりに泣いてくれたのかな。ありがとうね。


Windows 2000 は 安定して動いてくれてます。
前に一度 このパソコンに入れた時は、頻繁に固まって使い物にならなかったんですが。NT 4.0 とのデュアルブートなんかにしたからか。今回は ハードもソフトも余計な物を全部はずしてあるので、それが良いのかも知れません。


2001年9月8日(土)

たとえ誰かが沖に流されようとも、自分は大丈夫(単に やつらが未熟なだけ)と波に向かって行くんでしょうね。
車の運転だって一緒だもんなぁ。気ィ付けよ。


2001年9月9日(日)

なんか部屋が暑いと思ったんですよ。
秋田市で、遅まきながら今年一番の暑さを記録しました。33度7分。

なんだ ぜんぜん大したことねーじゃん、と思った方、あなたは正しい。
今年の秋田は これが精一杯といったところでして。暑さの点で言えば、平和な夏でした。雨もそこそこ降ったみたいだし。


油断してたら、スクリーンセーバー稼動中にフリーズしました。何をやっても復帰せず、強制的に電源を切る羽目に。
あーあ。結局いっしょじゃないですか。どうしましょう。メインボードとCPUも替えろって?


2001年9月10日(月)

今日も30度を越える暑い日になりましたが、もう暖房のコマーシャルやってますよ(WEB のページは去年のままみたいですけど)。

また すぐ冬なんだなぁ。


2001年9月11日(火)

大雨と大風の中で原稿を濡らしながら顔を歪めて喋っている人を見ても何も伝わって来ないんですけど。

まあ、どうでもいいか。
この大嵐の爪痕が、早く綺麗に消えてしまうことを願います。秋田は幸いにも、若干 強い雨が降った程度でした。


23:30現在、あらゆるニュースサイトがアクセス出来ない あるいはアクセスしにくい状況になってます。
誰だ、こんなことをやらかしたのは! なぜ こんなことを!


その後、特にアメリカ方面のサーバーが非常に輻輳しているらしいことが分かりました。CNNABCCBSNBCなどのアメリカのサイトは、ことごとくアウト。BBCは辛うじて繋がりますが不安定です。
国内のサイトには どうにかアクセス可能のようですが、難しい所もあります。

しかし、まるで映画ですよ。こんなことが本当に起こって良いものでしょうか?


2001年9月12日(水)

事件を聞いて、街なかで歓声を上げるパレスチナの人々の映像を見ました。

国と国との確執と 多くの人命とが、こうやって いとも簡単に釣り合ってしまうのか?
こんな出来事を聞いて笑っていられる人たちが居るなんて おかしい。国家が何だってんだ。政治が何だってんだ。思想が何だってんだ。歴史が何だってんだ。そんなもん知ったことか。

何かが間違ってる。何かが間違ってるよ。


2001年9月13日(木)

「六本木のワンルームマンションを買いませんか」という電話が来ました。

当然、自分が住むのではなくて、財産として持つということです。
立地条件は最高だし、長期的な運用が可能ですよと勧められます。
持ったからってどうなるのか。全然イメージが湧きません。不動産投資のことなんて今まで考えたこともないので、いい加減に返事をしているうちに電話は終わりました。
大体、自分が住む家すら持てそうにないのに人様が住む家を持つなんて。そんなんで良いんでしょうか。

社員名簿 流しやがったのは どこのどいつだ。


一連の現地からの映像で僕が一番ショックを受けたのは、消防士さんたちの姿でした。

僕は消防士の皆さんに対して、ある種の憧れと尊敬を持っています。
これまで、何度か火事や交通事故の現場を(テレビでも、実際にも)目にしたことがあります。火と煙が吹き出している現場へ向かって果敢に乗り込んで行く。一致団結して、ひしゃげた車から 閉じ込められた人を助け出す。
火事や事故の現場で てきぱきと動いている消防士さんたちは、本当に頼もしくて格好いい。人の命と財産を助けるために働く姿は、いつ見ても感動します。
この間の歌舞伎町のビル火災の時も そうでした。オクラホマシティーのビル爆破の時も そうでした。

でも、ここ何日かの間にテレビの画面から流れて来た消防士さんたちは、そんな格好よさとは かけ離れていました。
茫然とした表情で立ち、前を見つめていました。今にも涙をこぼしそうな顔つきで、お互いの無事を確かめて抱き合っていました。飛ぶように現場に駆けて行くはずの脚が、とぼとぼと動いていました。力が抜けたように、瓦礫の山のそばに座り込んでいました。
現場で 消防士さんたちが そんな風になっているのを見るのは 初めてです。僕には信じられませんでした。防火服やヘルメットが、やけに重たそうに見えました。いつもは頼もしく見える その出で立ちが、今回は 哀れに見えて仕方ありませんでした。

もちろん、そういう「絵になる」光景を選んで送って来ているのでしょうが、そんな「絵」が出来上がってしまうのが今回の出来事なのです。凄惨な光景を見慣れているはずの消防士さんたちでさえ 動く力を失ってしまうのが、今回の出来事なのです。

こんなことは もう たくさんです。
僕には歴史とか民族とか宗教とかのことは良く分かりません。
でも、こんなことを起こしてはいけない ということだけは分かります。一方的な物の見方でしょうか? 僕は そう信じてます。こんなことは起こしてはいけない。
こんなことをやってもいいと思っている人たちに言いたい。あなたがたの考えは間違っています。正義と名が付くものは、あなたがたが考えているのとは別のところにあるはずです。そのことに早く気付いて下さい。
そして、こんなことを二度と起こさないで下さい。こんなことからは、何も生まれはしません。何か生まれるとすれば、新たな悲しみと憎しみと暴力と、もっと道を誤った正義だけです。


結局こういうことになるじゃないですか
“Remember World Trade Center” ってワケですか。それで どうなりますか。罵りあって生きますか。傷つけあって生きますか。
やるべきことは、もっと他にあるでしょう。

もう やめようよ。みんな やめてくれ。


2001年9月14日(金)

朝、出て行ったら
「今日、休みだったよね?」

へ?

いや、今日は “出” の日だと……ありゃ、休みですね。
あ。きのう帰る時、先週の金曜日の線表を見てました。先週も今週も水曜泊まりの木曜明けだったから勘違いしたんです。

どうしましょう。でも、今日やるつもりになってた仕事があるんですよね。
というわけで結局、朝から晩まで職場に居ました。

なーんだかな。


音楽の力。

“Il Est Né” (として僕が知っている曲)の調べに、悲しみと希望を共に感じました。
音楽の力。いつ如何なる時も、それは輝きに満ちています。


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written by tardy@k.email.ne.jp