ここまで来ると、単なる「憂さ晴らし」にしか見えません。
(元の情報源は CBS と The New York Times のようです)
偉い人も一般市民も、みんな頭に血が上っちゃってるから、止めたって聞いてくれないんでしょうけど。
報復の名を借りて、殺戮行為が繰り返されるわけですね。
命を落とした人が5000人とも1万人とも言われる中、さらに人の命を消し去ろうというわけですね。
根本に流れる問題は 一つも解決を見ず、いつかまた再び起こるという可能性だけを残すことになるのに。
今はもう、これが身近な所に降りかかって来ないよう 願うばかりです。
しかしながら、“revenge” という言葉は軽い気持ちで使うもんじゃありませんね、こりゃ。
考え直さねば。
悔しいことに、助手席で 少々 車に酔ってしまいました。
乗り物酔いを防ぐ一番良い方法は自分で運転することだ、とはウチの親父の弁です。
その通りかも知れん。
今日は早く帰ろうと思っていたのに3時間超の残業なり。
全ては 133MHz の Think Pad のせいです。文章を打つぐらいなら何の痛痒も無いんですが、図や画像が仕事に飛び込んでくると一気に作業効率が落ちます。
新しいの買いましょうよ。ラップトップでも 1GHz くらい当たり前なんじゃないんですか、今や。
パソコンでCD再生なんて滅多にやらないので遅きに失していますが、Windows Media Player 7 のCD再生に度肝を抜かれました。
CDを入れると、アーティストの名前とアルバムの名前、さらには各トラックの曲名が演奏時間とともに表示されます。
システムの振る舞いから想像するに、どうやらネット上のどこかにトラック数と演奏時間からCDを特定できるデータベースを作ってあって、CDを入れた時に そこにアクセスしに行ってるみたいです。
で、びっくりしたのが、やたらマニアックなCDまで しっかりデータベースに入っていること。
“Ancient Mother” なんて、よくぞ入れたって感じです。
(なのに、Art of Living のシリーズを全く無視してたりするのが不思議)
〈その後〉
いろいろ試すうち、アメリカ国内のCDには強いが その他の国の製品には弱いという事実が判明しました。
日本の作品のサポート状況など、あまり芳しくないようです。
涼しい。もしかすると、寒い。そんな帰り道でした。
考えてみれば9月も半ば過ぎ。そろそろ こういう気候になって来るんですね。
秋は一息に、と。
大阪の通天閣はエッフェル塔を意識して作ったってホントですか?
似ても似つかないように見えるんですけど。
鹿角市の水晶山という所に仕事で登って来ました。
午後になって、冷えて来たのなんの。本格的な冬には及びませんが、上着一枚では ちと 辛かったです。
帰り。夜になってましたが、道路に設置してある温度計が「8度」とか言ってるんですよ。
もう冬かい。早いんでねぇの?
9月22日(土)
職場の人間に そそのかされたような恰好で、バンジージャンプ初体験。
今回お邪魔した山形県朝日村で行われているのが、いわば日本の老舗とのことです。
高い所は苦手じゃない筈なので それほど怖くは無いだろうと思っていたのですが、実際に飛び込み台(?)に立ってみると 自分の意思とは関係なく 脚が すくんでしまいます。だって、狭くて一歩間違えると落ちそうなんだもの。
飛んだ時の感覚は、ある意味、新鮮です。遊園地の乗り物と違って自分の体が生で落ちて行くので、落下の際の浮遊感みたいなものが かつて経験したことの無い もの凄さでした。
でも、下に下りきったあとの反動で跳ね上がった時の方が、僕は怖かったです。このあと自分の体が一体どういう動きをするのか、全く予想がつかないから。
下の川で待っているゴムボートに救出されるまでの間、さかさまの宙ぶらりんになったままで どういうリアクションをしてたらいいのか分からないのも困りました。
とりあえず、一緒に飛んだ中の一人と一致した意見は、
「自殺の手段として“飛び降り”は選びたくないな」
てなことを昨日、帰って来て11時30分を回って真夜中になんなんとする頃に書いていたら、いきなり電話が鳴ったんです。
県北部地域で障害発生。すぐ出勤せよ。
なにー。工事が始まったばかりの所じゃないか。なんか変な事やったか?
出て行ったら、とりあえず現地に向かってくれとのこと。大館・花輪・小坂と3つに別れて直行しました。
僕は大館でバックアップ系統の操作です。現地に午前2時過ぎ到着。一通り設定を済ませ、花輪・小坂側で予備系に切り替え。
どうやら大館側には問題が無いようなので、あとは向こうの作業待ちです。
そのあとは待機。とにかく待機。ひたすら待機。
何かあったら対応しなきゃいけないので、外に出るわけにも行かないし寝るわけにも行かない。
しかし、渓谷で飛んだり車を400km運転したりで疲れていて、このページ更新したら寝るぞ、とか思ってたりした時に出動させられたもんだから、起きていられません。『意識が飛ぶ→連絡電話で起こされる』を繰り返していました。
そして、向こうで全ての作業が終わって落ち着いたのが、夕方の6時半。
延々16時間半もの間、たった一人で待機をしていました。もう ずーっと、寝ながら起きているような状態で。あの建物に、連続して これだけの時間いるなんて、あとにも先にも今日の僕ぐらいでしょう。
現地までの往復の4時間を加えると、20時間半の緊急出向連続勤務となりました。
Jelena Dokic ツアー二勝目おめでとう。
もう寝る。
昨日は本当に疲れていたらしく、腕時計を外して寝るとか、普段は取らない行動を無意識にしていたようです。
いつもは腕時計を着けっ放しで寝ている(下手に外すと、なくしそうでコワい)ので、朝 起きた時に ひょい と左手首を見れば時刻が確認できるのですが、今朝は「あれ? ない!」。
慌てて辺りを見回すと、万年机にしてるコタツの上に ちょこんと乗っかっていました。いつの間に外したんだろう?
書こうと思って忘れてましたが、一昨日のバンジージャンプ、一回飛ぶのに料金が5500円かかります。
保険料だの何だのとイロイロ加えて行くうち、こんな値段になっちゃったようです。この5500円をどう評価するかは、人によって違って来ると思います。
NTTの下請けの会社から電話が掛かって来ました。アンケートみたいなことをされて、それはどうでもいいんですが、掛けて来たタイミングが悪い。何も、風呂に入ろうと素っ裸になってた時に鳴らなくても。
何を血迷ったか、夜の寒風山へドライブに行ってきました。
遠くの夜景と 海に映る月明かりが とても綺麗でした。もっと沢山クルマが居るかと思ってたけど、4〜5台しか見ませんでした。夜遅くなると増えるのかな。
Seattle Mariners のイチロー選手が、新人のシーズン最多安打数記録 233 に並びました。まだ8試合 残っていますから、記録更新は決まったようなものと思います。
しかしながら、従来の記録は なんと90年前に作られたものということで、マスコミで流れている情報にも いまいち整理しきれてないところがあります。
1911年(明治44年)のシーズンに 233本のヒットを打った “rookie”。これは Joe Jackson で間違いないようですが、彼が 当時 所属していたチーム Cleveland の愛称について ちょっとした混乱が見られます。
Cleveland Indians の公式サイトによりますと、このチームに “Indians” という愛称が付けられたのは 1915年とのことで、1911年の時点では別の名前だったようです(HISTORY のページを参照)。あちこちで調べたところ、どうやら “Naps” なる愛称だったらしいとの情報が得られました(fj.rec.sports.baseball FAQ 等より)。
ところが、この Naps の名前を出している日本のメディアは、僕が見た中では朝日新聞だけで、『インディアンズ』と紹介してるところも多くあります。
これは日本にとどまらず、アメリカの Fox Sports のコメンテーターも、実況中継の中で “at Cleveland Indians” と言っていました。また、メジャーリーグの公式サイト MLB.com の中にも、Cleveland は 1901年からずっと “Indians” であったと受け取れる記述がありますし、Joe Jackson の個人記録のページには 1911 Cleveland Indians
と しっかり 書いてあります。
どちらが正しいのか。いろいろ事情があって、どっちも正しいのか。
すでに歴史の中に埋もれてしまって、そのとき生きていた人に訊くしかなくなっているかのようです。
また、Joe Jackson が 1911年時点で果たして『新人』だったのか、ウェブサイトの数字を見る限りでは 1908年から記録がついていて、なんだか僕には良く分かりません。確かに、1908年から10年までは出場試合も少なく 11年から本格的にレギュラーになったみたいですが、日本のプロ野球で言う『新人』とは ちょっと違いますよね。
“rookie” を 単純に『新人』と訳すわけに行かないということでしょうか。
調べているうち、この 1911年は、かの Ty Cobb※ が 591打数 248安打 で 打率 .420 という とてつもない記録を残した年だと分かりました(Joe Jackson は 233-571 で .408。これだけ打ったのに 打率部門 第2位)。
ついでにメジャーリーグのシーズン最高打率を調べてみると、1894年(明治27年)に Boston Braves でプレーしていた Hugh Duffy の残した .440 (237-539) という数字が出てきました。
よく用いられる時代区分の「1901年以降」ですと、一番初めの 1901年(明治34年)、Philadelphia Athletics の Nap Lajoie が .426 (232-544) を記録しています。
「最後の4割バッター」は、1941年(昭和16年)でした。Boston Red Sox の Ted Williams が、.406 (185-456) を打って以来60年間、4割を突破する選手は出て来ていません。
歴史の深さを思い知らされます。
(日本の記録は、日本野球機構 BISデータ本部 のページをご参照ください)
北海道は最低気温が一桁だよ、とか話していて、そう言えば明日から10月だと思い至りました。
いつだったか10月の頭に北海道をぐるっと一周したときも、明け方は3度とか4度とかまで下がってましたもんね。
ミノルタのカメラを使ってるプロのカメラマンを初めて見ました。
しかも、α-9 でなしに 507si。あんまり儲かってない人なんでしょうか(失礼)。
なんにせよ、貴重な方です。と言うか、プロでも使ってる人が居るってのが分かって嬉しくて。
いや、Canon EOS-1 や Nikon F5 の実力は確かなんですけど、操作性では α-9 や 507si が一番だと思います、僕は。
本体の上にポコッと突き出したダイヤルを回して設定するってのは、非常に扱いやすいシステムですよ。もちろん「慣れ」のせいも あるんでしょうが。
あとは、単焦点レンズの品揃えが もっと充実してくれれば 言うことなし。