徒歩・徒然

2001年10月下期


2001年10月16日(火)

土日に出た(出る)分の代休とかをカチャカチャくっつけたら あら不思議(違う)、5連休が出来上がっていたので これ幸いと出掛けて来ました。と言っても、連休1日目は家でウダウダしていて、出掛けたのは2日目の午後でした。何やってんだか。

行き先は京都府の宮津市。
これだけ読んでピンと来ない方でも「天橋立」と言えば お分かりになると思います。

日本三景と呼ばれる所のうち、宮島と松島については そばの大きな街に住んでいたこともあって 何度か足を運んでいたのですが、京都府の日本海側という立地条件の天橋立だけは今まで縁がありませんでした。この際だからと、この4月以来クセになっている交通手段でもって行ってみる事にしました。
片道850kmちょい。今まで住んだ土地の中で 宮津まで一番距離がある秋田から わざわざ車で行かなくてもよさそうなもんですが。

行きは、国道7号−8号−27号−175号−178号の、何の飾り気もないルート。どれくらい時間が掛かるか見当がつかなかったし、途中で迷ったりするのも嫌なので、分かりやすい道にしました。
運転時間は占めて16時間ほど。途中で一泊したりして、実質 二日がかりでした。
で、現地に着いたら日が暮れていて「景」どころの話ではなく、天橋立で天の川が見えるという状況だったので、隣町の道の駅に車を停めて また一泊。夜明けとともに起き出して、朝の6時半頃から散策を始めることにしました。鉄道の駅がある南側へと回り込みます。

さすがに日本三景の一角を担うだけあり、「清く正しい観光地」と言った趣で、駐車場にしても1000円だとか600円だとか。しかも、こんな朝早くに客は来ないと思っているらしく、どこも係の人の姿が見えません。ちょっと離れた所の道端に駐車帯を見つけ、そこに停めて歩いて行くことにしました。

いまさら僕がくどくど紹介することもない場所ですが、ひとつ驚いたのが、自転車で天橋立を走って学校に通ってる高校生がいたことです。海を挟んで南と北に分かれちゃってる宮津市を、うまい具合に橋立が結ぶ恰好になっているんですね。かの有名な橋立が“通学路”だなんて。すごい。
考えてみれば、三景のうち陸続きになっているのはココだけです。その分、地元の方とのつながりが深いような気もします。

僕はと言えば、まず南側から北側へ、橋立を渡ってみました。もっと長いもんだと思ってたんですが、30分くらいで歩けてしまいました。
そして、傘松(かさまつ)公園という、山の中腹にあるところへ行きました。リフトやらケーブルカーやらが備え付けてあるんですが、まだ動いていません。仕方がないので歩いて登りました。あとからあとから階段が目の前に現れて、正直、萎えました。最近の運動不足を実感。
傘松公園は、橋立の延長線上からは少し西側に外れた位置にあり、斜に眺めることになります。海の上にこんなものが本当に自然に出来上がったのだろうか。考えると不思議です。
景色を堪能した後は、もと来た道を歩いて戻りました。さっきは橋立の真ん中、松の木の下を通ったので、今度は海沿いの砂の上を歩いてみました。

結局、一円もカネを落っことして行かない、地元にとってありがたくない観光客のまま、現地を離れました。

帰りは、福井県沿岸の国道162号や305号を通り、若狭湾を満喫しました。162号から見える海岸線は壮観でした。越前海岸は工事の片側交互通行だらけで辟易。東尋坊は 観光地臭ぷんぷんで、その先の海浜自然公園だけ見て来ました。

石川県は小松市の安宅関跡に夕方着。安宅住吉神社で ちょっとした勧進帳のお話を聞いて外に出ると、ちょうど日本海に夕日が沈むところでした。

夜の8号線を走って富山県は素通りし、親不知の道の駅で泊まり。

8号−7号−290号−113号 と走り、山形県に入りました。
県道10号−11号−9号と過ぎて、左沢(あてらざわ)で国道458号へ。これがスゴい道でして、今回唯一の未舗装路区間です。しかしながら、山々の色は見事でした。今年の夏は天候が良かったせいでしょう、東北の紅葉は綺麗みたいです。
肘折温泉(ひじおりおんせん・なんか逆の効果を連想させる名前ですね)近くの山の中で日が暮れました。

その後は、県道35号から国道13号へ出て、秋田へ戻りました。

途中、鉄道の赤信号を こっちの道路のと勘違いして減速したのが一回。
トンネルを出てヘッドライトを消し忘れて後ろの車にパッシングされたのが一回。

走行距離は1900km弱でした。


これで、あした早番なんです。
もうちょっと余裕持って帰って来れば良いのに。そうですね。


2001年10月17日(水)

もう4年くらい前のことになるんですが、就職してしばらく経った頃に、大学の時に在籍していた研究室から とある研究会のチラシが郵便で届いたことがあったんですね。封筒の表書きは僕の宛名で 裏には研究室の名前が書いてあり、何かの用件があるんだろうなとは思いました。

開けて中を見たら唖然としてしまいました。なんだいこりゃ。
チラシが一枚だけ、無造作に入っていました。研究会の案内だということは分かります。しかし、それは英語で書かれた紙でした。そして、その他には何の挨拶もありません。

要するに、興味があれば どうぞ、ってことだったんでしょう。それにしては、ちょっと非礼が過ぎてやしませんか。いくら、卒業したばかりのペーペーだと言ったって。
時下益々ご健勝の程お慶び申し上げます、なんて意味のない能書きはどうでもいいですが、せめて研究会の名前を日本語で紹介する紙くらい同封しようという気にならなかったのでしょうか。しかも、紙にある日程は ほんの1週間後のものだったんです。そんな直前になって言われたって、もう勤務の予定が入っていて どうにもなりません。

なんだか、ついでにあいつにも知らせとくか どうせ来れないだろうけど、ってな雰囲気が見え隠れしているようで、次第に腹が立って来ました。そんなんだったら、わざわざ郵便料金使って知らせてくれなくてもいい。百歩譲って、もし本気で招待する気があったとしても、知らせて来る時期と言い その方法と言い、働いてる社会人に対して あまりに非常識です。

もともと、出来の良い学生じゃなかったし、教授や研究者と まともに話が出来るとは思えなかったので、卒業してから積極的に大学と連絡を取り合うつもりはありませんでした。が、この一件で、完全に縁を切ろうと決心しました。


いや、なんで急にこんなこと書いたかと言いますと、今日、思い出させる出来事があったからなんですよ。

こういう輩が集まって大学っていう組織が成り立ってるのか、と。
相手の都合も訊かず、頼めばやってくれると思ってる。もう とっくに そこの組織に属する人間じゃなくなってるのに、大学の名前を出して頼めば動くと思ってる。

で、それで動いちゃう方も動いちゃう方なんですよ。大学に帰れや。


2001年10月20日(土)

朝、4度を下回りました。
うっかり上着を着ないで外に出たら寒いのなんのって。

日中になって、お日様の光は燦々と降って来て、それに当たると暖かいんですが、日陰に入ると風が冷たくていけません。
いつの間にかテレビやラジオから「放射冷却」とか言ってるのが聞こえてくるようになっちゃいましたよ。


掲示板の話題について。

数字と、それを聖なる数として扱っていた文明・人種・宗教などを、WWW上の情報から拾ってみました。

2古代日本
3中国・道教、キリスト教、ケルト人、日本
4ネイティブ・アメリカン、中国
5中国・道教、インド・アーリア人、琉球
6キリスト教、アイヌ
7メソポタミア・カルディア人、ユダヤ・キリスト教、中国・道教、その他
8中国、日本・神道、また西洋においても
9古代ギリシャ、キリスト教、中国

信憑性の程は ぜんぜん確かじゃないので、まあ適当に見て頂きたいんですが、webをちょこっと徘徊しただけで これだけの記述を見付けることが出来ました。場所や時代が違えば、それだけ沢山の考え方や物の見方が出てくるのだと分かります。

人間って面白い生き物です。


2001年10月24日(水)

えーと、関東へ出張しておりました。

日程がモロ平日だったのと、時間的に非常にキツかったのとで、関東在住の皆様には連絡を差し上げませんでした。また今度、ゆっくり時間が取れる時に お会いしたいと思います。

とか何とか言いながら、2件のCD店に行くのだけは欠かさないのが良く分からないところです。

しかし、知らないうちに こんなに沢山の人が新譜を出してたとは。
Jim WilsonWill AckermanMichelle TumesDan SiegelAcoustic Alchemy……何だい何だい、秋田の店にゃ まるで置いてなかったよ。
Áine Minogue なんか、3年も前に新作出してるんじゃないですか。なんてこった。

やっぱ、まずは東京からですもんね。しかも、こんな需要のない情報は なかなか秋田までは飛んで来ないです。
でもね、「独自のアンテナを張り巡らせて情報をキャッチ」っての、疲れるんですよ。


電車の出来事

その1 初めて目的地の手前で終点になる山手線に遭遇しました。

新宿駅の12番線に上がると、電光掲示に「大崎」の文字が。
おーい、おらぁ品川まで行ぎてぇんだけっども。と言ってもダメ。
でも3分待ちゃあ次のが来るんだから、都会は さすがですね。

その2

切符を胸のポケットに入れとくのが、このところの習慣になってます。検札が来た時、改札を出る時、すぐ取り出せて便利ですから。
このたびも、帰りの切符を胸ポケットに入れたまま実家にその服を置いて、出張先へスーツで出掛けました。

さて、仕事を終えて帰って来たら
「汗臭かったから洗濯しといたよ」「あ、そう。どうもありがと」

……

あれ?

「……ポケットに切符が入ってなかったかね?」「え? 確かめなかった」

ハンガーに吊るされた服のポケットを探ると、見事、掻き回されてクチャクチャになってました。しかし、ポケットのボタンを掛けておいたおかげで、流出して粉々になる最悪の事態は免れたようです。平らに伸ばして見ると、「東京都区内→秋田」の文字とか日付とかは 辛うじて確認できることが分かりました。
翌日、駅の窓口に持って行って訊いてみると、再発行は出来ないけれど、幸い記載内容が判別できるので、自動改札に入れずに係員のいる所を通ってくれれば良いとのこと。そんなわけで、下手にいじるとバラバラになりそうな乗車券を携え、秋田に戻ったのでありました。


2001年10月25日(木)

「最近、本当の土の上を歩いたことがありますか?」

今日の昼間、行ってきたばかりです。

松の木林の只中に車を停め、歩いて上へ向かいます。
背中には重い荷物と、手には長い荷物と。
水を含んだ土が、足元で うねります。

息を切らして、開けた頂に立つと、田んぼに浮かんだ街の建物が見えます。
僕等は それには目もくれず、持ってきた荷物を広げて決められた方に向けて置きます。

そして、小一時間もすると、やる事が無くなって帰ることになりました。

いったい何をしに行ったんでしょう。
でも、小さいけれど大事なことだったんです。
大それたことの出来る人は そう多くないけれど、小さいのが合わさって大それたことになったりはするので。


冒頭のカギカッコの中は、www.orca-live.net というサイトの紹介をしてたテレビから聞こえて来た言葉です。
そのまま。


2001年10月26日(金)

もうクリスマスの飾り付けですか?
それとも あれは ハロウィーンのだったのでしょうか。

そんなこんなの秋の日暮れ。
今日も高い所に登ってきました。
自分の会社の設備に登ったことも無いのに、同業他社のに登るのもおかしなもんです。


2001年10月27日(土)

映画とは、スクリーンに出てくる場面の裏に、どれだけの切り捨てられた映像と音が眠っているものなのでしょうか。


2001年10月28日(日)

買い物に行きました。
レジで計算すると、951円。
財布を見ると、お札がありません。
小銭をかき集めて何とか払いました。
100円玉8枚、50円玉3枚、1円玉1枚。迷惑な客だ。
財布に残ったのは12円(ほんと)。

いつも こんなことばっかり やってます。


2001年10月29日(月)

天橋立にて(1) 天橋立にて(2) 天橋立にて(3)

この間 撮ってきた 天橋立の写真をいくつか。


yo-oy氏のサイトで ご紹介に預かりました、tajimaと申します。
大変お久し振りの方も いらっしゃるかと思います。お久し振りでございます。

なかなかCDラックのページの体裁を整える時間も無く、最近は日記だけ ほそぼそと更新されている状況ですが、以後、お見知りおきを願います。
“yo-oy” をいつも頭の中で『ヨワイ』と読んでしまっていたことを告白して、ご挨拶に替えさせて頂きます。

本日は、ご来場 まことに有難う存じました。
チョンッ。


Internet Explorer は、文書型宣言の書き方によって スタイルシートの表示への反映のさせ方を変える事を知りました。
それはいいけど、ISO-HTML の文書型宣言の解釈が ちょっと違うんじゃないかと。

具体的に言いますと、

<!DOCTYPE html PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HyperText Markup Language//EN">

と書くか、

<!DOCTYPE html PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HTML//EN">

と書くかで、ページの表示が変わっちゃうんですね。

前者で書くと スタイルシートの仕様に 極力 従おうとし、後者で書くと いい加減に書かれた文書にも対応できるように 少々くだけた処理をして表示するようです(どうも文字の大きさとかが Netscape 6 と食い違うよなと思ってたら、これが原因だったらしい)。
つまり(穿った見方をするなら)、Internet Explorer は 後者を「間違った記述」とみなしているということ。

なんじゃそりゃ。
両方は等価なんじゃないのかい?
これじゃ、ほとんどのページを書き直さなきゃいけないじゃないか。


2001年10月30日(火)

そろそろ上着を着て外に出た方が いいですかね。
秋田は ここのところ霜注意報が出っ放し。


ホンダって儲かってるんですね
でも新しい CR-V には あんまり魅力を感じないんですけど。


2001年10月31日(水)

夕焼け小焼けで日が暮れて
カラスと一緒に帰りましょ

今日の出向帰りは正にそのものでした。

染まった空。周りを囲む山々。頭の上を行く小さな影たち。時折ひびく例の鳴き声。
そして我々は家路(※注:家は そこから120km)。

どこかの舞台の上のような。そんな一時を ありがとう。

山のお寺の鐘は鳴らなかったか。


明日からは11月になりまして。夜気も冷えて参りまして。


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