徒歩・徒然

2002年2月下期


2002年2月16日(土)

取った措置は公平なんだろうけど、どうもスッキリしないなぁ……

でも、たとえ こういう事件が起こらなくても、僕が採点競技から不透明な印象を受けるのは変わらないんですよね。“presentation” なんて、本当に数字の大きさで表せる物なのか。


2002年2月17日(日)

The Power of Love

「アイがなくっちゃね」みたいな どうでもいいようなノリの話ではなくて、大真面目な話です。(なぜか World Heart Federation のサイト www.worldheart.org にアクセス不能なので、公式発表は読んでません)
誰かを愛することは、心だけに留まらず、身体にも良い影響を及ぼすんだそうです。心臓発作を起こしにくくする効果があるのではないか、などとも言われています(その意味で、バレンタインデーという行事は大いに推奨すべきなのだとか)。

……しかし、この話を聞いて「早死にするのかもなぁ」と思ってしまった僕は、来月で28歳になりますとさ。
自分自身を愛することから始めようか。


テレビドラマで、僕と同じくらいの年齢の登場人物が こんな台詞を発していました。

“Let me guess, favorite movie growin' up. ‘Ghostbusters’? Am I right?”
「おい。ガキの頃どんな映画が好きだった? 『ゴーストバスターズ』か。そうだろ?」

そうか。あの映画やったのってガキの頃だったっけ。15年以上前だもんなぁ。
いつの間にやら歳とって、来月で28歳になりますとさ。


突然 年齢の話を始めたのは、運転免許更新のお知らせが来たからです。まさか、また秋田の免許センターで更新することになるとは思わなかった。
お。免許センターで手続きする人は写真を撮って行かなくてもいいらしいです。前から なんで写真なんか持って来させるのかと思ってたんですよね。結局、免許証に使う写真は別に撮るのに。同じこと考えてた人は沢山いたはずで。小さな進歩だ。


2002年2月18日(月)

映画 “Picnic at Hanging Rock”

線路の向こうのCD屋さんの棚に このDVDが ひっそりと置かれていたのが、以前から妙に気になってまして。あの店に出入りする人が買いそうな作品じゃないよなと思っていたら、やっぱり いつまで経っても棚にあるもので、とうとう買って来てしまいました。

舞台は1900年のオーストラリア、St. Valentine's Day の朝が始まりです。Appleyard College という全寮制女学園の生徒達が、Hanging Rock への課外授業(ピクニック)を行います。そこで起こった痛ましくも不思議な出来事。原作は実話を元にしているようで、事の真相は霧に包まれたままなのだそうです。

とても優雅で、静かで、煌めいていて悲しくて、そして、どうにもしてあげられない。見ていて、もっと何か出来ることがありそうな気がするのに。画面の美しさ(特に、白い出で立ちの少女達の)が、起こる出来事に何とも不釣合い。彼女達は、古い時代の古いやりかたに浸かりながら、それでも懸命に何かを考えようとしてるんです。美しいまま消えて行き、もしかしたら幸せを掴んだのではないか、などと思ってしまいます。本当は違うと分かっていながら。

音楽の用い方が秀逸。良く知られたクラシック音楽と この作品のオリジナル曲が、実に見事に風景と息を合わせています。緊迫している(はずの)捜索の場面を これほど優美な曲で包める作品が、果たしてあったでしょうか。

監督の Peter Weir については、“Witness”(「刑事ジョン・ブック/目撃者」1985年)、“Dead Poets Society”(「いまを生きる」1989年)、“Green Card”(「グリーン・カード」1990年)、“The Truman Show”(「トゥルーマン・ショー」1998年)などの作品で ご存知の方も多いと思います。この “Picnic at Hanging Rock” が劇場公開二作目になります。

なお、Hanging Rock は実在の場所で、メルボルンから北西へ75kmほどの所に位置しているそうです。

 邦題:「ピクニック・アット・ハンギングロック」(1975年・豪)
 監督:Peter Weir
 脚本:Cliff Green
 原作:Joan Lindsay
 音楽:Bruce Smeaton、フルート演奏:Gherghe Zamfir
 出演:Rachel RobertsDominic GuardHelen Morse ほか

間の抜けた お話を一つ。

「暑かったら 手袋は外しても結構です」
“...day as a day is like it to be warm, you may remove your gloves...” と聞こえる)

寒さに震えている僕は、この字幕を見て、へ? と思い。
しばらくしてから、2月のオーストラリアは夏だというのに気付きました。赤道越え未経験者。


2002年2月19日(火)

東西に伸びる通り沿いのガソリンスタンド、やってくるクルマに見えるように大きく、

現金歓迎

その裏(つまり、前を通り過ぎたクルマからは背中になる)、

女性歓迎

……男の立場は いつでも危うい。
(あの前は何度となく通り過ぎてるのに、今日 初めて知った)


2002年2月20日(水)

このところ暖かい日が続いています。

しかし、日が暮れるとやはり冷えてくるものです。ところが、今日の帰り道で通りかかった家の台所では、窓を全開にして後片付けをしている女性の姿がありました。いくらなんでも そこまで……秋刀魚でも焼いたのか?


2002年2月22日(金)

まさかまさかと思っていたんですが、やっぱり「ロード・オブ・ザ・リング」の邦題で公開されちゃうんですか? どうして、ずっと親しまれている「指輪物語」の名前じゃいけないんですか? だって、その話の映画化版なんですよね。別にいいじゃない。指輪を巡る話には違いないんだから。

だいたい、元の題名は “THE LORD OF THE RINGS” ですよ。頭の the を省略した上に、お尻の rings を わざわざ単数形に直してるのには、何か意味があるんでしょうか。

それに、“THE FELLOWSHIP OF THE RING”(「旅の仲間」)の名前は何処に行っちゃったんです? この後、“THE TWO TOWERS”(「二つの塔」) と “THE RETURN OF THE KING”(「王の帰還」) も制作されるんですよね。その二本の題名はどうやって付けるつもりですか。まさか「2」と「3」? それとも「第2部」「第3部」とか? それは間抜けすぎますよ。


何度聞いても「村主章枝」の読み方を忘れる。


2002年2月23日(土)

yo-oy氏にご紹介されたことでもあり、ユニコード実験室に新しいページを追加しました。ただし、中身はほぼ全部日本語です。

導入は もうちょっと先に伸ばそっかなぁ、ファイルを書き直すの面倒臭いし……というのの言い訳がクドクド書いてあります。いや、真面目な話、結構めんどくさいッスよ。HTMLファイルを書くこと自体は 別に難しい話ではないんです。やろうと思えば あなたも出来ます(たぶん)。だからと言って「あなたも符号化方法を UTF-8 にしよう!」ってな雰囲気でないのも確か。

WWW 関連の諸技術は、まだまだ発展途上なのですね。


秋田市中心部の道から雪が消えちまったのに気を良くし、調子に乗って車を走らせていたら、河辺町の山の中で見事に滑りました。道端の雪の壁に右後方のフェンダーとバンパーを直撃。幸い雪の方が柔らかかったので被害はありませんでした。

素人が使うからだ。


2002年2月24日(日)

見下ろして青い道
振り向いて青い空

山に飛んで行く風が
街角を海の色で染めて


雪がなくなって油断していたら、アパートの入り口の段差を踏み外して転びそうになりました。しかし、まだ気温は立派に下がりますな。


《ユニコード関連 続報》

Windows2000 は多言語対応」という話をチラッと読んで、そう言えば言語の設定とかが どこかで出来たような気がするなと思い、あちこち いじくり回しているうちに、欧州各国や韓国や中国の言語用のキーボード入力が出来るようになっちゃいました(※「出来る」のと「使いこなせる」のとは別の話です)。詳しくは また書きます。

やっかいなのはキーの配列を覚えること。
ハングルのキーボード入力なんて初めてやりました。
中国語は簡体も繁体も入力方法が理解できません。
フランス語なんか、一番上の数字の列まで文字入力に使うんですね(数字は Shift を押さないと出ない)。しかも、qawz の位置が 普段使ってるのと逆になってるし。文字の使用頻度の問題なのでしょうか。

世の中、知らないことだらけ。


2002年2月25日(月)

オリンピックの競技は、大抵の皆さんがテレビでご覧になっていらっしゃると思います。
その陰に隠れていますが、オリンピックというスポーツの祭典は、普段なら絶対やらないようなラジオ中継が行われる場でもあるのです。今後、機会があれば 是非 聞いてみて頂きたいと思います。新しい世界が開けること請け合いです。

今回も色々やってました。
一番強烈だったのは、スケルトンのラジオ中継。聞いてて確かに分かるのが、いま滑ってる人とトップの人のタイム差だけという凄まじさ。「さあ、カーブを曲がって来ます」とか言われても。
それから、毎度おなじみの開会式と閉会式。一所懸命に競技場の様子を伝えてくれようとしている気持ちは分かるのですが……やっぱり限界がありますね。

その他、スピードスケートやノルディック複合なども普通に中継しています(さすがにカーリングは無理でした)。
でも、滅多に中継などしない競技ばかりなので、喋り方の叩き台も出来上がっていないんでしょう。アナウンサーの方も大変です。


夏の大会の方で印象に残ってるのは、陸上のフィールド競技です。
中でも三段跳びは可笑しかった。選手が跳ぶのにあわせて「ホップ、ステップ、ジャンプ!」と声を上げるアナウンサー。なるほどなぁ、と感心したりしながら聞いてました。


1908年、初代 IOC会長 Pierre Frédy, Baron de Coubertin が演説で引用し、第10回(1932年)のロサンゼルス大会で競技場に掲げられて広まったという「大切なのは参加すること」(元の言葉はどんなのだったのでしょうね。アメリカ人の主教が選手達を戒めた言葉だったようですが)。
1932年当時のロサンゼルスの邦字新聞の記者が、こんな訳を付けたのだそうです。

勝たんとする非ぞ、共に良きを致さんこそ

元の言葉の上に さらなる高みを付け加えた、これぞ名訳と言えます。

勝つことは二の次。しかし、参加することだけでも なお不充分なのです。
最近のオリンピック、「共に良きを致」しているでしょうか?

参考資料:「近代オリンピックの始まり」(JOC)・「オリンピック百話」(朝日文庫)


2002年2月27日(水)

夜勤明け。家に帰って気が付いたら夜になってました。

こうした事実から少しずつ、かつての体力が無くなっているのが分かります。一晩寝ずに過ごした後に自転車で一日走り回ったこともあったんですが。


2002年2月28日(木)

代々木ゼミナールが新聞に全面広告を出してまして、そこに東大の英語の入試問題が載ってました。
(web版はこちら→www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/tokyo/zenki/eigo/mon1.html

軽い気持ちで読み始めたんですが、全然わからない。ついでに自分が合格した(はずの)大学の問題も見てみたんですが、こちらも同様、全然わからない。よくこんなんで大学に入れたな。
文法大嫌いの僕は、英語の勉強は受験生当時も大してやってなかったので、今と そう実力は違わないはず。それとも、あの頃は もっと理解できてたんでしょうか。いやあ、そんなこと無いと思うんだけども。

これでも海外旅行では大して困りません。言うほど行ってないですけど、少なくとも今までは困らなかった。


新しい名称は「静岡市」で決定なのだそうです。まあ、芸が無いと言ってしまえばそれまで。でも結局こうするのが一番良いと判断されたわけでしょう。県庁所在地だし。


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