改めて自分の自動車保険の証書を見直してみました。
うーん、ちょっとイロイロ付けすぎかなぁ……
ホンマかいな。
ちなみに現物はこちら→www.city.akita.akita.jp/default.htm
出先でのこと。
途中で購入した弁当を電子レンジで温める。
しかし、少々 時間を掛け過ぎだったか。
取り出した弁当は、思いのほか熱くなった部分があり……
気が付いたら向こうの床まで吹っ飛んで行ってました。
反射運動は制御が利かないということが分かりました。僕の鮭弁がぁ。
最近、野球をテレビで見られる時間帯に帰れません。
何かが間違ってる気がして仕方が無い今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
イエーイ。
まあ、当然のことではありますが。
でも、秋田は田舎だから(?)関係ねぇのさ。
すでに日付は変わってるんですけど。
このサイトのおかげで辛うじて「曜日の感覚」ちゅうやつが保たれてるという状況でして。いつになったら土日がまともに休みになるのやら。
なに、梅雨明け? どこの食い物ですか、そりゃ。
全然知らなかったんですが、馬鹿もたいがいにしやがれ。
あの話見て誤解するような奴は、どんな話見たって誤解するよ。テレビドラマ見ただけで誤解や偏見を持ったり「助長」されちゃったりしてしまうようなら、そういう人間の方が問題だ(そんなヤツぁ居ないと思いたいけども)。
偉そうに抗議とかする輩も、表面だけ見て事の本質を見失ってるエセ正義感の持ち主しか居やしねぇ。くだらない重箱の隅をつついてばかりで、自分が役に立つことやってると思ってんだからね。おめでたいこと。
なんにせよ「議論を尽くし」た結果がこれなのなら、その「議論」とやらに参加した連中は馬鹿ばっかだ。すでに3回も電波に乗せといてビデオやDVDも盛大に流通してるってのに、なにを今さら「放送を取りやめることにしました」だ ボケが。
先週の放送では予告をしっかり流してたらしいじゃないの。一週間で「議論」が完結しましたってのか? 笑っちゃうね。
まぁホントのところは、どっかのエライヒトが独断で即席に決定を下したんだろうな。深いこと考えずに。ひょっとしたら裏の事情もあるのかも知れんが、結局、まともにこのドラマ見てない低脳どもが劇的な場面をチラッと見て勝手に騒いで高尚なこと言ってるつもりになって勘違いしてるだけなんだよ。現場や視聴者から言わせりゃ いい迷惑だ。
あの話が「誤解や偏見を助長する恐れがある」とか本気で信じてる人種とは絶対かかわりたくない。街で道聞かれるのだって御免だ。
(これも一種の差別かもね。でも僕は そういう馬鹿を差別するのは 恥ずかしいとは思わん)
日曜日の話なんですが、ヤマダ電機に電池を買いに寄ったんです。開店して間が無かったんで、なんか店内が賑やかでした。別に わざわざ そこで買う必要もないんですが、何となく。
レジで料金を払ったら、いきなり
「大当たりレシートが出ましたので、代金をお返し致します。入り口のカウンターでお受け取り下さい」とか言われました。
始めは何のことか分からなかったのですが、どうやら そういうことが たまに起こるらしい(20人に一人とか)。いま払ったお金が返って来るんですね。
よりによって669円の買い物の時に当たんなくたっていいじゃないかあ。なんで、もっと高い買い物した時に当たんないんだよう。
仕事の都合により、ブチ切れた文章を数日間ほったらかしにしていました。
が、今も あの時の気持ちは変わりません。馬鹿者どもが差別や偏見の温床を履き違えて認識してます。声を上げるべき相手はテレビドラマじゃない。人間そのものです。
それに、ちゃんと その作品を見てから文句をつけるべきでしょうね。“ER” には様々な病気や性格の人物が登場し、決して偏った描き方はしていないのは少し見れば分かるはずだと思うんですが。
でも、ああいう連中は最初から色眼鏡を掛けて激しい思い込みとともに作品を見詰めてイチャモンを捻り出すわけだから、こんな説教は通用せんか。
映画『千と千尋の神隠し』のDVDを買って来てしまいました。
例によって劇場公開では見ず(例なんか書いてないか、このサイトでは)、日本テレビで放映されるまで見ることは無かろうと思っていたんです。ところが発売以来「絵が赤い」と あちこちで騒がれていて、機材によって その赤みが違ってくるなどという話もあったりして、僕の職業病というか野次馬根性は とうとう我慢できなくなったのであります。
で、帰って 早速 見てみました。
再生機:Pioneer DV-S6D、受像機:MITSUBISHI 25T-D101 の組み合わせです。
結論、やっぱり赤いです。
純粋な赤ではなくて、若干 黄色がかってる感じです。機械によって違うらしいので迂闊なことは書けませんが、とにかく、色味が普通じゃないことは確かです。
劇場で見る色に近付けたとかいう公式な説明が出ています。しかし言わせてもらえば、白いものが白く映らない調整は やはり違和感を持たれます(おにぎりとか雲とか)。ちょっと気を使って いじりすぎて 却って悪い結果になっちゃった感あり。白いものが出て来ない場面は、世界観が独特のものだけに、こんなもんかなと思えますが。
ついでなので、接続ケーブルを取り替えて試してみました。
ふだん使っているコンポーネントのケーブル(RCA3P-D1)、S端子ケーブル、そして普通のコンポジットのケーブル(RCA-RCA)の3つです。
見た限りでは、上に書いた順番に赤みが少しずつ増して行きます。つまりコンポーネントが 一番 見やすくて、コンポジットが 一番 見にくい。ま、そうは言っても僅かな差しかありませんので、接続方法で大きく左右されることは無さそうです。
この作品、絵が描かれた後はフィルムに焼かれる直前まで 全てをデジタル処理しているとのこと。つまり、最終的に出来上がった作品のマスターと呼べるものは、我々の目で直接見ることの出来ない「データ」の形で存在しているらしいのです(最近は あらゆる作品が そうなんですかね)。
DVDを出すに当たって、その「データ」を そのままディスクに入れちゃうのは、スタッフの間でも戸惑いがあったんでしょう。アニメーション映画の既存のDVDは、いかんせん発色が良過ぎて逆に目に付く傾向があるのも確かで、そういう意味では ちょっとここらで柔らかい色合いの製品を作ってみたいな、という心情も理解できます。しかし……この補正は やりすぎだと思います、個人的に。モニターの調整を ちゃんと やってなかったんじゃないかと邪推したくなります。
さて こうなってくると、次の興味は「日本テレビが どうやって放映するか」になります。ちょっと極端な補正ですから、テレビ局が採用するとは考えにくいですが、果たして……
ただ、音は素晴らしいですね。ウチにはスピーカー2本しかありませんが、それでも聞きごたえ十分です。
中身の方ですが……
簡単に言うなら、「感性でなく理性で見なければいけない」んです、僕の場合。
感動するのに一手間余計にかかってしまって。(それを「感動」と言うのか、果たして)
たぶん、感じ方が ひとすじ違ってるんです、宮崎さんと。いろんな事や物について。特に、眼に飛び込むモノについて(良いとか悪いとかは別にして、です)。
劇場に行かないのも、その辺が頭にあるからじゃないかと。
(これ以上書いて行くと、世の中から総スカンを喰らいそうなので止めときます。『魔女の宅急便』についてはオタクだけど、あれ、違う人の原作だしなぁ……)
現在、一匹のムカデと同棲中です。
捕まえて外に出してやろうとすると どっかに隠れて見えなくなっちゃうんで 仕方ないんですよ。何か悪さをしてるわけでもないから、居たいんなら居させてやろうかと。なに食って生きてんでしょうかね、こんな部屋で。
でも、どこから入ってきたんだか。このアパート、誰も気付かない所に隙間があるに違いない。ほっといたら、また そこから出て行くかな。
昼夜半逆転。
部屋で一人、素麺を食う。
いまだに Badtrans.B のメールが飛んで来るなんて。もう、何と言ったら良いのか。
去年から、旅行でお世話になった会社が次々つぶれてるような気がします。
貧乏神か、わたしゃ。
「ゆき」
という物語を読み終わったところです。
とつぜん どうして こんなものが出てきたのか。
たぶん長くなると思いますが、書いていきます。書かずには おられません。お暇な方は、お付き合い願えればと思います。
いつか見た映画のことを、何かの拍子に ふと 思い出すことが ありませんか?
この間の日曜日の午後、僕に、その瞬間が やって来たのでした。
天の世界で暮らす一人の少女が、下界へ降りて 人々の力となる……
その昔に こんな映画を見たことを、ふと思い出してしまったのです。
いま思えば、その物語のことは、僕の心の中に ずっと 居付いていた筈でした。この間の日曜だけでなく、その前にも、幾度か思い出したことがありました。
しかし、記憶は どうにもならないほど 朧になってしまっていて、題名すら思い出すことが出来ないのでした。
映画を目にした経緯は こうです。
小学校に入って1年か2年しか経っていない頃です。全校生徒が体育館に集められて映画の鑑賞会をしたのです。なぜ そのような会が催されたのか、なぜ この作品が選ばれたのか、当時の僕が知るところではありませんでした。今となっては、どの季節に それが執り行われたかさえ、綺麗に忘れてしまっています。とにかく、スクリーンに映る物語を眺めていたのです。僕に確かに分かるのは それだけです。
見終えた後で、感動したとか、もう一度見たいと思ったとか、そんなことはなかったと思います。
ところが、何年も何年も経った後で、その物語が奇妙に胸に焼きついているのに、僕は気付くのでした。
と言っても、先にも書いたように、記憶は朧な影でしかありません。覚えていることは ほとんどない。何せ、題名や主人公の名前すら正確に思い出せないくらいなのです(それはおそらく、自分から見ようと思って映画館に足を運んだ作品では無いからでしょう)。
断片として胸に浮かんでくるのは、こんな感じのものたちです。
まず、物語は 昔の日本、おそらく戦国時代くらいが舞台であること。
映画はアニメーションであったこと。題名に「雪」という言葉が入っていたような気がすること。
主人公の少女は天空の世界の人であること。
少女が何かの使命を帯びて下界に降りること。それを諭していた人物がいること。
天上の家の囲炉裏から下の世界を見下ろすと赤い点々が見え、少女が「燃えている……」と悲しげな声で言っていたこと。その炎は、どこかの家か何かが燃えているものであったこと。
少女には1年の期間が与えられていたこと。物語の後半で、天で待つ人物に向かって「もうすぐ1年になります」と独白する場面があったこと。
合戦の場面があったこと。
ラストで、雲の上の世界を 少女が白い馬に乗って どこまでも走っていたこと……
まさに、雲を掴んでいるようなものです。覚えているのは粗筋ですらなく、胸の中にあるものは 大ざっぱな印象でしかないのでした。
それでも、この物語が、とても暖かくて、とても僕の心を捉えるものであったという、(半ば強引な)確信がありました。何かの拍子に この物語を思い出すたび、もう一度スクリーンで出逢えないものだろうかと、淡い期待を持ってしまうのです。しかし、そんな期待は、これまでは手の届くはずの無いものでした。もう、ふた昔ぐらい前のことです。映画館で見たものなら どうにか調べる伝もあるのでしょうが、学校の体育館で内輪で行われた上映会のことなど、どうやって調べれば良いのか。まして、僕の記憶の中には、途切れ途切れの場面が 残っているだけなのです。
あの日、スクリーンの上に確かに映った作品なのにも関わらず、もう永久に僕の前には姿を見せてくれないだろうと諦めていました。美しい断片が心に残っている、それで充分ではないのかと。
さて、
この間の日曜日に、再び(と言うか、もう、何度目でしょう)、なにをきっかけにしたのか分かりませんが、僕は この物語のことを思い出したのでした。
これまでと違っていたのは、目の前に、World Wide Web という電子の網に繋がった箱が鎮座していることでした。
あの朧の中からでも、なんとか この物語について 確かな物が捻り出せるのではないか。そうして、格闘が始まりました。
最初は、思い当たる単語を片端から検索エンジンに放り込んでいました。しかし、そう簡単に目的のものは出てきません。それはそうです。確かな言葉は「雪」だけなのですから。
やがて ふと、作品がアニメーションであることに思い当たり、その関係のサイトを当たってみることにしました。
そして……
とうとう行き当たりました。あれから何年たったのでしょうか。いま、とうとう懐かしい名前を見付けることが出来たのです。
その名も「ゆき」という作品でした。製作1981年は、覚えている時期とピッタリです。また、いくつかのサイトにあった粗筋は、僕の記憶を裏付けるものでした。
(「日本映画データベース」というサイトにあるデータはこちら→www.jmdb.ne.jp/1981/de002700.htm)
ビデオ化などは まだ されていないようですが、名前が分かっただけで僕は安心でした。辛抱強く待てば、いつか映像ソフトを手に入れることも出来るかも知れない。手の届かないものと思い込んでいたものが ふうっと傍に寄って来た感じで、清々しい気分でした。
その後、あちこちのサイトをよくよく見たり、新たに検索エンジンに単語を入れたりしているうちに、この物語には原作があることを知りました。斎藤隆介さんという大正5年生まれの童話作家の方が書いた作品であるらしいと分かりました。色々な出版社から色々な本が出ましたが、どうやら現在は全て絶版になっているようです。
やっと出会えた この作品に 僕は心を奪われてしまっており、どんどん突き進んでいました。映像を再び見るのが今はまだ無理なのなら、せめて本で この物語の世界を思い出そう。
インターネット経由で注文が出来る古書店のサイトを見付け、気が付いたら電子メールを送っていました。翌日、在庫がある旨の返信が届き、そして今日、本が手元に届いたのです。その文庫本の奥付には、昭和51年6月15日初版発行とあります。定価が260円ですが、今は500円の値が付いています。物語は、昭和44年5月に発表されたとのことでした。
忘れかけたような焦がれた思いが表に出て来てから、わずか3日で ここまで来てしまった。しかも、秋田を一歩も離れることなく。つくづく、いまの時代の素晴らしさを思います。
本当にありがとう。
そして、いま、読み終わったところです。
こんなに夢中になって本を読んでいたのは、いつ以来か分かりません。話の筋など すっかり忘れていたのですが、心の中には再び巡り会えたという思いがあるので、新しいような懐かしいような、不思議な感覚です(読み終わって、そう言えば こんな話だったなぁとか思うこともありませんでした。どうやら、映画の筋は僕の頭から さっぱりと消えているようです。一番大事なクライマックスの場面が全く心に残っていないのには、少し愕然としてしまいました)。
物語の名前は「ゆき」といいました。少女の名前も「ゆき」といいました。
冬には雪が積もり、夏には緑の稲が田を染める、そんな村が舞台でした。お百姓さんと、お侍さんが出て来ました。偉い方が力に任せて下を抑えつける。そんなことが繰り返される時代でした。
天から降りた少女は、白い馬に跨って駈けていました。天のことは人に知らせず、村人に交じり、自ら進んで手を上げることもなく。
でも最後、その手を上げたとき、少女が 突然 大きな風となっていました。風が吹き抜けた後、僕の胸には、心地良い笛の音が染み透っていました。
童話ですか。絵物語と言いますか。
でも、今も燃えている炎が見えませんか。心の中に、わだかまる魔を感じませんか。
真っ白い雪に、降って来てもらいたいと思いませんか。
雪ん子に、出逢ってみたいと思いませんか。
本の中では、登場人物たちは皆、見事に訛った言葉を喋っているのですが(映画では そうではなかったはず)、それが、僕が知っている秋田の言葉に かなり近いものなのです。「かまくら」なんてものも出て来ました。妙に親しみが持てるなぁと思っていたところ、巻末の解説を読んで驚きました。なんと、作者の斎藤隆介さんは、秋田で暮らしていたことがあったそうなのです。もともと東京の人ですが、終戦間際に疎開という形で秋田市へ来て、それから13年間、秋田に住んでいたとのこと。ゆきたちが喋っているのは、やはり間違いなく、秋田の言葉だったのです。
僕は遠い昔に遠いところで、この作品を映画の形で見たのでした。
まさか、今、まさに その秋田の地で、この物語の活字を紡いだ本を手に取ることになるとは。なんということでしょうか。
出逢いの不思議。思い焦がれ続けていたわけは、これだったのか。
今夜は、なんだか寝付けそうにありません。
「じんじいよ、おらァなんにもしなかったでゃ」
いやいや。こうやって また 僕と逢ってくれたではないですか。
ゆきの降り立った村は、僕のすぐ近くに、ずっと、あったみたいです。