徒歩・徒然

2003年1月上期


2003年1月6日(月)

今日が仕事始めになります。
いきなり夜勤。


「ホワイトアウト」をテレビで見た翌日に秋田に戻って来たら、街がホワイトアウトしていました。

顔が痛くて。
洒落にならんス。


2003年1月7日(火)

待人(まちびと) さわりあり来らず
失物(うせもの) 出がたし下にあり
商売(あきない) 買うのは損 控えよ
争事(あらそい) 時を待たねば勝てず
転居(やうつり) さわがぬ方がよし

でも運勢は「大吉」なのです。鹿嶋様のお告げでござる。


コニカとミノルタが経営統合

今のミノルタのカメラとレンズの設計思想は そのまま続けて欲しいです。
最近でこそ、アナログカメラもデジタルカメラも、ダイヤル操作の物が沢山ありますが、507siが出るまでは 何故か無かったんですから。タブーに穴を開けた功績は大きい。αシリーズは 意外と捨てたもんじゃないヤツなのでして。レンズの種類が少ないですけど。

(でも、フィルムは富士を使い続けることになるかも)

α-9D とか出れば、買うかも知れないのに。需要が無いか。


2003年1月10日(金)

昨日の午後に秋田を発って仙台入りして今日の午前中に用事を済まして帰って来ました。慌しい。

秋田駅に降りてバスに乗りました。職場に向かって一直線。
……のはずが。

山王十字路のバス停を通り過ぎ、さあ次だとボタンを押しました。録音テープの車内アナウンスも流れました。
が、突然、バスは交差点を左へ。
あれ?
バスの中のお客さんたちも、ちょっと慌て始めます。
「県庁行くんじゃないの?」運転手さんに尋ねる人。

「県庁ですね。すいません。間違えました」

どっひゃー。

バスに 道 間違えられたのは 初めてです。

「県庁より先に行かれる方、いらっしゃいます?」いっぱい居ました。
早く軌道修正しないと いけません。

細い裏通りを通って、元の道に戻ります(この臨機応変さは さすが)。
すれ違うクルマの人たちは びっくりしていたに違いありません。なんで こんな道にバスが!
その先のバス停で180円を払って降りました。100円ぐらい まけて貰えなかったのかな。


2003年1月11日(土)

息が白い部屋の中。


CHASING GODZILLA (New York Post)

松井選手がニューヨークに到着しました。
たった それだけのことに これだけの長い記事が書かれてしまってます。

日本のメディア連中は Waldorf-Astoria に宿泊するという噂を信じてたみたいだけど ホントは違う所だったんだもんね、という勝ち誇った感じが愉快です。

ところで、記事中に こんな文章が。

Wearing a beige turtleneck, a dark winter coat and the look of a man who had recently traveled halfway around the world, Matsui sat in the passenger seat of a Suzuki Grand Vitara and briefly played with the automatic window as a driver jumped in and a man who was presumably Matsui's interpreter sat in the back.

ホテルから外出する時の様子を書いた物なんですが、Suzuki Grand Vitara って エスクードじゃないスか! 松井がエスクードに乗ってニューヨークの街へ出た! どうです、こんなところで活躍してるじゃないか。どうだ、みんな。どうでもない?

何で日本では全然売れないんでしょうね、あのクルマ。


2003年1月12日(日)

Maurice Gibb 氏、死去

20世紀は確実に過去に消えて行っている感触があります。


2003年1月13日(月・祝)

I am frogs と名乗る人たちのCDを買って聴いていました。

この「空間旅行」は、どうやら初めてのアルバムみたいです。
CDのクレジットを見ると、三浦細香(なんと読むんだ、これ?)さんを中心としたグループのようです。この女性が曲を書いてギターを弾いて歌を唄ってピアニカを吹いて、なんだか一人で色々なさってます。その脇を何人かで固めている感じ。

音は、正直に言うと かなり荒削りの印象があります。ただのアコースティック・ギターの音が 時として乱暴に響いたり。録音やミキシングの方針が そうだったのでしょうか。歌声も、「ほれぼれするような」てヤツとは だいぶ違い、とにかく音符に付いて唄っているよ、とそれだけ。

ただ、それでも、曲の感じが良いのです。やさしい言葉を やさしく口ずさんでいます。(「やさしい」を ひらがな にしたのは、“優しい”・“易しい” 両方あてはまるんじゃないかと思うから)
誰かに向かって唄っているようで、だけども、目の前の景色の事を話しているだけのようで、不思議です。

すぐ近くで誰かが、ふと曲を作って唄っている。そんな親しみやすさと 何も考えてないような雰囲気が とても魅力です。

CDを買って初めて存在が分かる11曲目の「朝の日差し」が 一番 好きになりました。
「君の鼻歌はいつも心地がいい」なんて歌詞を 作れるなんて、羨ましい。


2003年1月14日(火)

クルマで駅の階段を暴走(山形)

でも、許されるんであれば、クルマで階段を走るっての 一度やってみたいですよね。みたくありません?


2003年1月15日(水)

例年びっくりしますが、今年も
「お〜お〜きなのっぽのふるどけい〜」を どうやって行進曲にすると言うんです。悲しいじゃん。歌詞は関係ない?


今日は、午前2時からテレビばっかり見てました。
記者会見だけかと思ったら、なんか良く分かんないトークショーにまで出てる 松井選手。こりゃあ、ガンガン打たないと あとで思い出した時に厭になりますよね。頑張って。

それにしても、もはや 英語を喋れない人はアナウンサーには なれないのか。

現実的に「世界共通語」となりつつある あの言語を、生まれた時から「母国語」として自分の物に出来る かの国の人々。それに比べ、我々などは 非常に不公平な立場に居るよなぁと、最近 折に触れて思います。だって、我々が強いられる学習の一つを まるっきり省略できるんですからね。なんと いいこと。

「英語くらい喋れなくちゃ」というのは 良く聞く主張です。しかし、身に付いてるのが日本語しかない僕のようなヤツにとって、それが出来るようになるには やはり それなりの投資や時間が必要なわけです。で、それらは決して容易に捻り出せる物じゃない。要は ヤル気の問題なのかも知れませんが、海の向こうに行って 小さな子供達が自由自在に言葉を操るのを聞いてると、「勉強する」というのがアホらしくなって来るんですよ。「言葉を喋れるようになる」のって、苦労して「勉強する」もんじゃないだろう、と。

なんか話が違って来ちゃいました。
ま、今んトコ喋れなくても困らないしな。海外出張なんか 有り得ないし。球場で切符が買えれば それでいいや。


山形新聞の電光石火の早業、その日の内に記事が消滅。
というわけで、夜中を待たずにデッドリンクでした。お粗末。


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written by tardy@k.email.ne.jp