徒歩・徒然

2003年9月上期


2003年9月7日(日)

日曜の朝から、ウチの部屋の鳴ってるんだか鳴ってないんだか良く聞かないと分からない呼び鈴が鳴ったのです。日曜と言っても、僕は出勤なので平日と変わりないのですが、こんな時に我が家を訪ねてくる人とは誰だと思って出てみたら郵便屋さんでした。

「書留なんですが」「あ、はい」 判子 持ってドタドタ出て行きます。なんだそりゃ。ウチに書留なんか来る用事が あったっけか?

受け取ってみたら、「秋田地域振興局県税部」とかいう所から来た郵便でした。あ、こないだナンバーを変えた車の税金のことだ。秋田に収めた分のうち今年後半分が戻ってくるという話です。

しかし、古い住所に送られて郵便局が転送してきてます。新しい住所は ちゃんと東京の方で届けてあるのに。それを届けたことによって、秋田の方で この「還付通知書」が作られることになったんじゃないんですかね。「過誤納発生理由:管轄変更登録」って ちゃんと書いてある。だったら、古い住所に送ったって 僕は もう そこに住んでないのは 分かってるはずでしょう。
「標記金額を隔地払の支払場所の金融機関からお受け取りください。」「隔地払の支払場所:秋田銀行本店又は各支店」とか書いてあります。また京橋に行かなくちゃないですか。私は東京だから良いけど、秋田銀行が無い所に引っ越した人に対しても 同じ通知書を送りますか。用紙は しっかり 印刷してある形式の物だから、たぶん そうなんでしょうね。

いわゆる お役所仕事ってのは こういうことを言うんだなと、納得できた日曜の朝でした。明日は京橋行きか。ついでに銀座で遊んでから出勤しようかな。


さて皆様、お久し振りです。
4日には再開できる見込みとか言っておきながら、フタを開ければ 見事にズレ込んでしまいました。申し訳ございません。

性懲りも無く また アメリカに行って 野球を見てきました。一度やったら やめられなくなったんです。道中については、別にページを設けて書く予定にしています。しばしお待ちを。(とか言いながら、去年のヤツ、まだ完成してない)


2003年9月10日(水)

2つの職場のどっちに行くにしても、どんな行き方をしようが 家を出てから職場に着くまでの時間が ほとんど変わらないことに気付きました。(最初から最後まで歩くのを除く)

結局、この都市は そういう所なのであります。となると、一番お金が掛からない行き方を採るのが正しいのでしょうか。


2003年9月11日(木)

New York からの生中継がテレビに映っています)

我々は、少しでも前に進んで行こうとしてるのでしょうか? あの日から二年たちました。ニューヨークで流される涙と、中東方面から発せられる物騒な発言を見る限り、何も変わっていないなという感じしかしません。

涙を流すのは、あんな事があった後だから当たり前です。でも、それで終わっているんじゃないか。「テロとの闘い」と言いつつ、同じ質の涙を違う場所で流させることしか出来ていないんじゃないか。ちっとも前に進んでいる風ではありません。

飛行機を乗っ取ってビルに突っ込んだ人たちを英雄と称え、後に続けと啓蒙してる人たちが居ます。あの後、あなたたちにとって、何かが前向きに変わりましたか? 何も変わっていないでしょう。むしろ、悪い方に進んでいる気さえする。それなのに、相変わらず同じ事を繰り返そうとしている。暴力というものの見た目の派手さと その場限りの影響力に、誤魔化されて騙されて。

どちらにしても、血気だけは盛んで、その血気を前進と勘違いしているとしか思えない。何か、どこか、やり方を間違ってるんじゃないかと言い出す偉い人が一人ぐらい居ても良さそうなもんなのに。やられたら やり返す。その単純な所作の繰り返し。いつまで経っても堂々巡り。

この2年を振り返ってみて下さい。あなた方の為した事によって、何かが、少しでも良い方に変わりましたか? いつまで続けますか? 僕には、偉さも力も無いから、何もできることは無い。あなた方、偉い人たちに やって貰うしかない。なのに、偉い人たちがやってることは、何も変えてくれてない。

その内に また、涙が流される事になるのでしょう。しかし、人の心の奥底から出てきたはずの涙なのに、それは、ただ地面にこぼれて乾いて行くだけなのでしょう。

(今日はもう、テレビを消そうと思います。これ以上の何かが伝わって来そうにないので)


煙草の火を点けてあげたんだね
ちょっと得意だったろ
何かのきっかけになったって思ってさ
他の子なら 何か起こるかも知れない
こんな店の中だもんね
だけど あの子は そんなんじゃない
ずいぶん思い違いをしてるみたいだ
あの子のことを話してあげるよ

あの子は飲んでる時しか煙草をやらない
時々こうやって飲んでる
時々 男に参って
疲れてこうやって
煙草の火をあげても
君が期待してるようには ならない
あの子は 飲む時は独り みんな分かってる
で 煙草は 飲んでる時しか やらないんだよ

踊ろうって誘ったのかい
断わられたろ 分かってるんだ
どっか静かな所へ連れてって
過ぎた事だろって言ってあげる感じにしなきゃ
いや そんなに難しく考えなくても
あの子が静かに笑うんで戸惑ったのか
つかみどころの無い女だって
あの子は そんなに難しい子じゃない

あの子は飲んでる時しか煙草をやらない
時々こうやって飲んでる
時々 男に参って
疲れてこうやって
煙草の火をあげても
君が期待してるようには ならない
あの子は 飲む時は独り みんな分かってる
で 煙草は 飲んでる時しか やらないんだよ

今年のは こんなところですかね? 3段目の訳は、イマイチ自信なし。どうでしょう、nishiji氏。


2003年9月13日(土)

一昨日の続き。

かの巨大な国の人たちが取り続ける態度について、どうしても違和感が拭えないと言うか、ハッキリ言ってしまえば我慢がならない事があります。

口では「テロと自由の闘い」とか何とか、とかく、我々は世界のために動いているんだと言う。そのくせ、何かの式典であるとか集まりであるとか、そういう場では、まず真っ先に かの国の国歌が流され 星と横縞の旗が掲げられ、“God Bless America” が唄われ。結局は、自分トコの国ありき、ではないのかと。

確かに、あの許すべからざる悲劇が起こったのは、かの国の中であったかも知れない。でも、海を越えたこっち側で、なかなか やって来ない報せに もどかしい思いをし、願いが届かずに涙を流していた人が少なからず居た事を、分かっていますか? 何かをやってくれるなら、あの事件に遭遇した全ての人の国の旗を掲げるべきではないのですか? land of the free とか何とか唄った後で、くっつけたように世界の人々がどうのと言ってくれたって、こちらは困惑するばかりです。たった今、あんた達は 自分の国のことしか唄ってなかったじゃないか、と。

自分の国を称えるのを止めろと言っているのではないのです。ただ、あなた達が眺めてる旗と唄ってる歌は、平たく言えば、私たちには何の関係も無いし、何の感銘も与えてくれないし、何の慰めにもならないのです。「攻撃されたのは自由社会だ」と言うなら、その自由社会に私たちの国も入っていると言うなら、なぜ、あの旗だけを掲げて あれらの歌だけを唄うのですか。それなら むしろ、「この国の建物が攻撃されたんだから、落とし前は俺たちだけでつけてやる」とでも言ってくれた方が 余程 すっきりします。

地球は狭くなった といいます。現に、僕のような一個人でも、平気な顔して裏側まで飛んで行けます。ところが その裏側には、人の言葉から人の顔つきから町並みの景色から社会の成り立ちまで、まったく違う世界が広がっています。本当は、まだまだ地球は広いんだなと思います。その中で我々は、複雑に絡み合った社会を作っています。昔は、ちょっと その辺を支配すれば 世界の全てを支配した事に なったかも知れない。しかし今は、世界は途方も無く広いということが分かってしまいました。もはや、一部の偉い人だけで全てを操ろうなんて不可能です。

あの事件は、全ての人々にとっての悲劇でありました。だからこそ、「星条旗」は あくまで世界の一部である「アメリカ」しか表さないことを、もっと敏感に感じ取って欲しいのです。


2003年9月15日(月・祝)

まったくの偶然でありますが、最近、友人のウェブサイト2つで、相前後して人の命に関する出来事が起こりました。(二つともlinkのページから飛べる所です)

一つでは、彼の良く知る方が 病で帰らぬ人となり、もう一つでは、彼の良く知る方が 新しい命を この世に もたらしました。

おめでとう と お気の毒。
僕は部外者ではありますが、その二つが同居する複雑なことに なっておりました。

奇妙な偶然だよなと思うと共に、これから先、僕自身は、命の誕生と命の喪失と、どちらに出逢う機会が多くなるのかなと思いました。そんなの どっちだっていいじゃん、ではありますが、その両方ともが、人を大きくし、人を強くしてくれる物なのではないかと思うのです(勿論、人の強制的な力によって命を落とすのは論外ですが)。

僕は歩いて行きます。
道の先は見えませんが、歩いて行くしかない。道端に居る全ての人が、宝物。居なくなったり、現れたり。


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written by tardy@k.email.ne.jp