徒歩・徒然

2003年10月上期


2003年10月2日(木)

こんばんは。
いま、岡山県は勝央(しょうおう)町に居ます。島根県松江市への道中です。

母親の実家に行く最中なのですが、道が想像以上に空いていて快適でした。心配していた京阪神付近も、スイスイ通り抜けてしまいました。

明日は現地入りしますが、この分だと かなり早く着きそうです。どこでどうやって時間つぶそう。


2003年10月3日(金)

松江1日目。

と言いましても、今日は 実質 着いただけで終わり。
なんと、両陛下が“我々と全く同じ日程で”当地に滞在中。今居る宿の前に三重県警の機動隊の車とかがズラリと止まってて大変です(エレベーターで広島県警の お巡りさんたちと一緒になったり)。
交通規制や検問も あちこちで行われています。品川ナンバーの我が愛車など、通りかかったら真っ先に止められるに違いありません。明日、突っ込んでってみようか。

だって、そんな事情なんて知らなかったんだもん。


今日は、非常に御馳走になってしまいました。宍道湖産のシジミの味噌汁とか、ベタな展開も一部に生じましたが、良いです。

明日は西洋軒のオムライスだ。


2003年10月4日(土)

松江2日目。

なぜ、「用事がある町」まで我々と一緒なのですか、あのお二人は……

一応、時間帯は避けて出たつもりだったのに、時間が押したのか、見事に交通規制にブチ当たり。明らかに出雲弁を喋らないお巡りさんに止められたりしました。


夜の千鳥城は、静かで風情があって、本当によろしい場所です。


2003年10月5日(日)

松江3日目。および帰京。

今日は、ほとんど お墓参りをしただけでした。

慌しく過ぎた三日間でして、もうちょっと余裕を持った日程にせんといけん、と思った次第であります。何せ本日は、昼に松江を発って 夜中には東京に帰ってきてしまいました。松江―東京は、12時間あれば 僕の車でも走れるということが分かったわけです。家族で行けば それは安上がりなんですが、さすがに疲れますね。

色々お世話になりました。
ただ、「今度は お嫁さんを連れて」とか重圧をかけるのは ご勘弁を……その辺が田舎。ま、良いですけど。


2003年10月7日(火)

「慈姑」って、皆さん ご存知ですか?
読み方が分からない? そうですよね。「くわい」です。食べ物です。どうやったら あんな漢字が 当てられるのやら。おせち料理に入ってるくらいしか 僕は見たことも食べたことも無いんですが。この くわい というヤツ、やっぱり、地方によって 食べるとか食べないとか あるんでしょうか。大体、どこで取れるんでしょうか。

職場で出てきた他愛ない話題なのですが、このサイト見てる人からも 何か教えてもらえるかな、と思いまして。一応、検索エンジンの類は駆使してみましたが、あまり生の声のような情報が見られなかったもんで。
とりあえず、職場では 近畿の人しか くわい の存在自体を知らなかったようです。


2003年10月8日(水)

健康診断の結果が返される。

現在の体重を維持して下さい

……て、それだけかよ。

でも この体重は、環境の変化で一時的に減っただけのようなもんなんで、維持するのは難しいかも。運動せねば。

“総コレステロール”と“A/G”てヤツと“血糖値”が若干高めか。ま、大丈夫でしょう。良く分からんけど。γ-GTPは、相変わらず低水準を保つ(当たり前か)。それにしても、“A/G”て 何だね。


“オレ流”貫いて/落合さんの中日監督就任に喜びの声 (秋田魁新報)

実は、落合博満氏は秋田県は若美町の出身なのでした。
当人は 全然そんな素振りを見せないけど。秋田工業での実績も ほとんど無いみたいなもんですけど。でも、あの ぶっきらぼうな所とか、確かに秋田の人の気質かも知れません。


2003年10月9日(木)

都営大江戸線というのは、新しく出来た路線の宿命で、やたら深いところに乗り場があります。

「乗換駅」で、やたらめったら歩かされているうちに、ひょっとしたら遠回りをさせられてるんじゃなかろうか、隣の駅まで ついでに歩けるんじゃなかろうか、などと思ったりするのです。

実は あの電車、リニアモーターを使って動いてる 大変 画期的な電車なんです(線路の真ん中に、他の路線では見られない金属のベルトが敷いてあります)。しかし、乗客をリニアモーターでホームまで運んでくれないかというくらい歩く距離が長い。
新宿駅まで12分 とか書いてあっても、「新宿駅に着いてから さらに5分(駅を出るまで)」だったりします。仕方ない。


2003年10月11日(土)

京葉線車内で。

「電車って、結構スピード出てるんだね。だって、あっちの車が130ぐらいでしょ?」
「うん」

京葉道路で130km/hも出したら、僕は怖くて運転できません。やっぱり東京は恐ろしい。


そんなわけで、CEATEC JAPAN 2003 に行ってきました。せっかく招待券を会社で貰ったんで。

CEATEC というのは、Combined Exhibition of Advanced TECnologies の略らしくて、この英語見ただけだと何だか良く分かりません。
要は、電気通信分野の企業・団体の発表会みたいなものでした。各ブースの展示内容でなく、その近辺に居る お姉さんの方にしか興味が行ってない、ゴツいカメラを携えた人たちも沢山みられました(でも、あんな写真を撮って どうするんだろう? 真面目に不思議です)。

僕は、やはりと言いますか(いや、そうでないと困るだろ)、地上デジタルを睨んだ、各社のHDTV受像機に興味が向くので、その辺を重点的に見ていました。地上デジタル電波のインチキ受信で展示が展開されており、変調・復調を一段階多く繰り返してる所為か、あまり綺麗に映っていませんでした。あれを見て、HDTVを評価されると ちょっと困るかも。
それらの中では、Pioneerがやっていた MPEGノイズリダクションてのが面白かったです。ま、所詮は誤魔化しなので、映像ソースによっては逆に汚くなることが 充分 考えられます。しかし、MPEG2の欠点を何とか受信側で補おうとする姿勢は、受像機メーカーにとっては必須でしょう(もはや、送り手側は どうしようもない)。
それから、SONYのプラズマテレビ。照明の映りこみが少ない! あれは驚き。

ただ、僕が見た限り、アンテナメーカーがDXアンテナしか出展していませんでした。アンテナは大事ですよ。受像機だけあったって、アンテナが無きゃ映りませんよ。それにしても、DXの あのUFOみたいなアンテナ、どういう仕掛けになってるんでしょ?


で、ですね……今日は それがメインになるハズだったんですが……

会場が幕張メッセでしてね。その道を挟んだ反対側に、千葉マリンスタジアムが あるわけでしてね。

電車の中から、スコアボードの上に旗が揚がってるのが見えちゃったのが いけなかったんですね。あ、今日 試合してるんじゃん。てなわけで、千葉ロッテ×日本ハム の今季最終戦を観戦してしまいました。消化試合なのに2万人を超える客が入ったようです。ライト側外野席の他はガラガラに見えたんですけども。

日本ハムの今季最終戦ということは、つまり、あのチームが「日本ハムファイターズ」として試合をするのは、今日のこの試合で最後であったということです。
試合は、延長11回まで縺れる熱の入ったものとなり、最後は日本ハムが5対4で逃げ切りました。両チームとも力を尽くした いい試合だったと思います。3塁側のベンチから全員が出てきて、客席に向かって挨拶をしました。球場全体から大きな拍手と歓声が起こり、ちょっと感動してしまいました。「北海道に行っても頑張れよ!」「来年も応援するからな!」
そして最後に、ライトとレフトの応援団の間でエールの交換が行われました。
「北海道で 逢いましょう!」「お待ちしてまーす!」
こういうのは、アメリカの球場では絶対に見ることの出来ない風景です。あちらとこちらには色々違いがあれど、これは日本が自慢できる習慣の一つだと思っています。いつもこの球場に来ると、応援してる皆さんの姿勢に心を打たれます。みんな本当に野球が好きなんだ。

実は徹宵勤務明けの僕は、帰りの電車で心地良い眠りについたのでした。


2003年10月12日(日)

部屋の中に自転車置いとくって、やっぱ変ですかね?


2003年10月13日(月・祝)

「自転車道」とか「サイクリングロード」とか名の付く道路は、人なんか居ないもんだと思い込んでいたんですが……東京モンへの道は長く険しい。ああ。もっと思いっ切り走り回れる所は無いかな。


家の中に居る限りは 大した雨でも無いように感じたのですが、道路に水が溢れたり 地下鉄が止まったり、結構ひどい天候だったみたいですね。意外と このアパート 丈夫なのかも。


2003年10月15日(水)

今日の夕方 地震が あったらしいのですが、歩いていて全く気付きませんでした。

渋谷の東急ハンズの「地震対策コーナー」の上の天井にぶらさがってる売り場の表示がユラユラ揺れてまして、なんだろ、空調の風が当たってんのかな、とか思っていたら本物の地震でした。

呑気なもんです。


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written by tardy@k.email.ne.jp