徒歩・徒然

2005年9月上期


2005年9月1日(木)

渋谷までクルマで30分で行けました。奇蹟だ。


新しいドライブの形を見出しました。

「夜の都心」

昼間 走ると 時速10kmに なっちゃうんで、こうなりゃ 夜 走るしかない! という結論に至りました。夜ならば、たとえば春日通りで5速に入れることも可、です(なんで春日通りが出てきたんだろう?)。タクシーと道路工事の間を縫って走らなければいけないので それなりに大変ですが、ちゃんと流れているおかげでイライラは少ないです。

キツいのは、ちょっと停めて休める場所が まるで無いこと。始める前に きちんとトイレに行っておかねば。


気が付いたら 9月になっていました。

最近は、このサイトの書き物のおかげで暦のことを 心に留めていられるとでも言いましょうか。


2005年9月3日(土)

何の脈絡も無いんですが、夜勤が明けたその足で(その脚で?) ナゴヤドームに行ってきました。中日×ヤクルト。午後3時試合開始のデーゲームだったんで、ちょうど良かった。ナゴヤ球場時代も含め、初めての中日ホームグラウンドです。

ドーム球場に試合を観に行って 寂しさを感じるのは、球場に近付いたときなんですね。これが神宮や横浜だったら、歓声が聞こえてきたり 場内のアナウンスが響いてきたりして、野球場に来たぞー と思って 気持ちもワクワクしてくるのです。でも、ドームの周りは しーん としてるんです。ダフ屋の小父さんやお兄ちゃんの声だけが目立ちます。ナゴヤドームの周りには工場しかなく、いっそう寂しい感じがしました。

― 初ナゴヤドーム ―

実際に来て見て初めて知ったんですが、ダグアウトが ずいぶんバックストップの方に寄っています。これだけ後ろにある球場は、あまり無いんじゃないでしょうか。もしかしたら、ピッチャーの投げる球が 普通の球場に比べて見やすいのかもしれません。

振り返ってみると、色だけ変えてあるダサダサ人工芝を最初に採り入れたのが この球場でした。出来た当初は僕も面白がっていたんですが、今や、単なるインチキにしか見えなくなりました。茶色のところは 全部 土にしちゃえばいいのに。前例が無いとは言わせませんよ。

スコアボードに映るリプレイが良い感じでした。中日の攻撃では、ヒットを打ったときは もちろん、空振りしようがファウルになろうが、とにかく「バットを振ったときは すぐにリプレイを出す」という方針でやってるみたいです。おかげで、ほぼ真横の位置の席だったにもかかわらず、今のが どんな球だったのか すぐに分かって便利でした。

落合采配なんぞ必要が無い試合でした。10対1でドラゴンズの勝ち。パカスカパカスカ良く打ちますね。“オレ竜”強すぎです。試合終盤では、右横手投げの川岸に対して 右の米野を代打で送るなど、若松監督もヤケになっているような感じでした。観衆:34900人。大入りだ。


で、愛知万博にも行かずに そのまま帰ってきてます。つくづく アホです。

しかし、一番ガッカリしたのは WILLCOM が ナゴヤドームの中では“圏外”なこと。ちぇ。試合速報も見れやしねぇ。


2005年9月4日(日)

現在、真夜中が近付いてる時刻ですが、すごい雨です。

ウチの近所は、周りよりも 若干 高さがある土地なので それ程でも無いみたいですが、あちこちで道路に水が溢れたり、大変なことになってるようです。1時間に100mm超の雨を観測したところもあるようです。衛星放送は例によって全滅。

区の防災無線が 防災のこと喋ってるのを初めて聞きました。しかし、雨の音で聞き取れなかったりします。役に立つんだろか、あれで?


2005年9月6日(火)

そろそろ メガネを買い替えなければ いかんのだろか。


2005年9月9日(金)

anishiji氏と 横浜スタジアムへ繰り出しました。夜勤明けだとか、そんなことは まぁ気にせずに。

― これは良い ―

金網の消えた内野席の最前列(と言って良いと思います)。素晴らしい眺めです。ついに日本にも こんな視点で観戦が出来る野球場が現れたんですね。改めて感激してしまいました。あとは、茶色の部分を きちんと土にしてくれれば言うこと無しです(こればっか……)

横浜の先発 門倉の調子が悪く、4対0になったときには 一方的な展開になるかと思ったんですが、横浜が 6回に打者一巡のドえらい攻撃で 一気に6点取り、そのまま逃げ切ってしまいました。6対5で横浜の勝ち。

最終回、2点差の場面で お目当てのクルーンが登板。今日は 160km/h が3回ほど出ましたね。100マイルの直球を初めて生で見ました。早すぎ。新・安打製造機、ヤクルトの青木も 当てるのが精一杯でした。そして今日の最後の決め球は、ラミレスを空振り三振に取った 147km/h のフォークボール。信じられない数字です。あんな球、どうやったら打てるんでしょうか。1点取られましたが、でも、いい物を見せてもらいました。

観衆:8578人。そんなもんでしょうかね。例によって、席が埋まっていたのは ライト側の自由席だけでした。


今日の一言

そんなに お客さんが信じられないか、君たちは。


ナベツネオーナー:「清原くん、巨人は2000年問題の前に 清原問題なのだ 率直に言って」
清原:「ハァ」
ナ:「入団のいきさつを考えればトレードには出せない。ベンチに入れたからには使わねばならない。打つとしたら4番しかない。
 「しかし 4番の君で打線が切れる。といってトレードには出せない。困った。
 「そこで知恵をしぼって考えた。この際 独立してみてはどうか 清原くん。」
清:「独立?」
ナ:「そうだ 独立だ! ヨミウリがカネを出すから 日本清原プロ野球機構を結成し、清原リーグに清原ジャイアンツを作り、4番を打つのだ。」

(想像の場面)ウグイス嬢:「4番 ファースト 清原。」(胸に“キヨハラ”とあるユニフォーム。なぜかベンチに広沢克己が……)

(現実に戻って)長嶋監督:「しかし オーナー。
 「打線が切れますよ。」

ナレーション(?):論理学において 解答の出ない難問のことを『キヨハラ』と言ったそうな。

……という漫画を1999年ごろに いしいひさいち が描いていたんですね。

清原選手は術後のリハビリを始めたという話ですが。


2005年9月10日(土)

誰も来てないのに呼び鈴が鳴りました。怖い。


21失点、阪神に惨敗 (中国新聞)

今日の試合は、とことん、めっちゃくちゃになってしまいました。失点の多さだけに止まりません。“ベースがガラ空き”などという凡プレーが 2度も飛び出すし。おまけに、怪我する選手は出るし、挙げ句に乱闘騒ぎまで起こるし。点数のことを置いといたとしても、今日は、とても試合になっているとは言えませんでした。

しかし 毎度言うことですが、ここまで来たら もう12点 失点してですね、31点差の記録を作るくらいでないと 後に何も残りません。これでは中途半端すぎます。

人材は、それなりに揃ってると思うんですよね。確かに守備の下手な選手は多い。あとは、何か ちょっとしたキッカケが あれば……。


2005年9月11日(日)

9月11日。
この日付が、悲しいことに、人間が人間のために引き起こした壮絶な悲劇の日取りの日として、残ることになりました。

あの日から 4年です。

今年、すでに 2ヶ月前のことになりますが、実は、その悲劇が起こった その場所に 行ってみました。ロクに時間は なかったのですが、New York City の真ん中に宿を取ったからには、行かなければいけないという気持ちで居ました。朝 起き出すと、迷いながらも地下鉄を乗り継いで、あの場所まで辿り着きました。

そこは既に、綺麗に後片付けが為され、周りにはフェンスが張り巡らされ、様々な飾り付けや掲示物が溢れていました。これから その場所に造ろうとしている施設のことを 大々的に喧伝しているモニュメントもありました。国内だけでなく、海外の色々な所から観光客の皆さんが訪れているように見えました。皆、手にしたカメラや携帯電話で、その場所を個人的な記録に残そうとしていました。

その場所のことは、すでに 全てを知った気でいました。夥しい報道による情報が降り注いできたおかげで、海のこっち側に居ながら 全ての事が分かった気でいました。しかし、やはり、実際に行ってみなければ知り得ない物が、そこには あったのです。

フェンスに掲げられている写真や書き物を目で追っていくうち、一つの板を見付けました。それには、あの悲劇で命を落とした人々の名前が、全て書いてありました。そして、それには、“Heroes of September 11th, 2001” という題が付けられていました。

これを見て、僕は、何とも言えない気持ちになりました。僕は英語を殆ど知らないけれど、“hero” という言葉の使い方について、これで良いのだろうかと思ったのです。この違和感は何なのだろう。

あのビルで命を落とした方々は、ごく普通の方々だったはずです。世界中から集まった、普通の人たち。自分のため・家族のため・組織のために働く、普通の人たち。突然 空から突っ込んできた2機の飛行機によって、何の理由も無く姿を消さなければならなかった、普通の人たち。

その普通の人たちが、今、まさに その場所で、“heroes” と持ち上げられているのです。

このことが何を意味するのか。言い出しておきながら無責任ですが、僕には良く分かりません。あの場で感じた違和感、なんか違うんじゃねーの? という気持ちを書くことしか出来ません。ただ、その何となく感じた違和感に併せて、漠然とした“恐怖”のようなものも 僕の心には巣食ってしまっているのです。テロに対する恐怖とか、そんなものとは違う、もっと暗い影を落とす、何かが。あの時から。

そして、その場所の片隅には、星条旗だけが一本、風に揺れていました。

僕は、どうしても、カメラのシャッターを切ることが出来ませんでした。だから、あのときの写真は、一枚も ありません。


おそらく、あの場所で そんな下らないことを感じる人間は 僕ぐらいのもんでしょう。

僕が 今日 投じた一票も、所詮は少数意見です。


今日の日のことを、「記念日」などと呼んでいるセンセイも居ると聞きました。

“良識派”の方々は、こういうのをこそ、「乱れた日本語だ」と糾弾するべきではないのですか。


2005年9月12日(月)

2大政党の流れは不変 大勝は小選挙区の特性 (共同通信)
選挙:衆院選 得票率、自民47%/民主36% なのに獲得議席4倍 (毎日新聞)

要するに、ですね、自民党に投票した人は全体の半分しか居ないわけですよ。残りの半分の人たちのことは放ったらかしにされてる、ってことになりませんかね。放ったらかしにならなかった人たちにしても、もし怒らせて反旗を翻させるようなことになれば、簡単に引っくり返ってしまう。

つくづく、政治家のセンセイがたは大変だなと思います。まぁ、頑張って下さい。

今日も ウチの職場は 6人が午前様ですぜ(と言うより、日付が変わってから職場を出た)。


2005年9月14日(水)

これも一種のトラックバックと呼べるかもしれませんね。yo-oyさん、ありがとうです。

各々の日付にはIDを付けてますんで、9月11日には http://www.tazi-k.net/daybook/2005091.html#DATE20050911 という形のアンカーで飛べます。

と、そんなわけで、今後とも よろしくです。


また会議中に うたた寝してしまった……


ID・パスワードに埋もれる日々、90%以上が「忘れたことがある」 (Japan.internet.com)

は〜い。

HMVのメールマガジン(?)の解除でぎねぇッス。


2005年9月15日(木)

楽天ついに最下位決定、田尾監督の胸の内。 (Number web)

ひとつだけ気になる文が……

旧近鉄、旧オリックスの残りものからの選択で、35歳以上が16人もいるチーム構成である。夏場のフルキャスト宮城の暑さは半端ではない。デーゲームは、特にこたえる。年寄りには余計だ。8月中、実に3勝しかできなかったのもうなずける。

……ちょっと待って下さいよ。仙台は、他のどの県庁所在地よりも 夏の気温が低いんですよ。他の球場よりも夏は涼しいはずです。要するに、ドーム球場で ぬくぬくと(?)過ごしているチームばっかってことじゃないですか。日本の野球は どうなっちゃってるんですか。

ただ、ですね。思い当たる節が無いわけでは……
もし、本当に暑くて仕方が無かったってぇのなら、考えられる原因は一つしかありません。

人工芝です。

日本野球機構の皆さん。早急に対策を考えるんだ!

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