他所の部署から借りた機材に添付されていたケーブルが間違ってて機械が動作しなかったり、構内配線の工事を担当した業者が二芯の線をショートさせたまま作業を終わらせて帰ってしまったり、僕は何にも悪くないのに なんで僕が方々に頭下げて廻らなきゃいけないんですか。僕の頼み方が悪いですか。そうですか。
……ぐれてやりたい。
追い込まれるクレメンス 2・13公聴会は集中砲火か (サンケイスポーツ / 共同通信)
僕の言いたいことは、ほとんど こちらのコラム→「ミッチェル・レポートの本来の意義を失わせるな」(NumberWeb) で菊地靖さんという方が書いておられるので(ひと月ほど前の掲載です)、改めて蒸し返しても仕方が無いとは思います。
しかし、相変わらず個々の選手ばかりを話題にしたり、あまつさえ、件のレポートの真偽についての議論にうつつを抜かしたり(あのレポートが「完璧な」ものでないことは、報告した方も元から承知の上です。そんな議論は滑稽以外の何者でもない)、そんな記事ばかりが掲載されているのを見ると、問題の解決に乗り出す動きが まるで起きていないようにさえ思えます。
でも たぶん、みんな そんなことは分かってます。分かってるのに何も出来ないでいるのは、要するに、打つ手が無いからでしょう。もはや、止めようと思っても逆らえない、黒くて強い流れが 居座ってしまったのですね。もちろん、その流れに呑み込まれていない人の方が多いでしょう(そう信じたい)。しかし、あれだけの巨大なカネが動く世界です。黒い流れが手を伸ばして来ないわけがありません。
そうやってヤケクソになって諦めてしまっては未来が無くなります。でも、根は相当に深く張ってます。どこから どう手を付けたら いいものか。
もう、愛想が尽きる寸前です。
今日は夜勤ですが、この夜勤は、ハッキリ申し上げて、我が職場の仕事に対する他部署の協力が皆無であるために止むを得ずムリヤリ人繰りをして突っ込んだものです。システムを通常通りに稼動させつつ、おっかなびっくり 夜中にシステム更新作業のテストをやります。
そして、仕事に全く協力してくれないだけでは飽き足らず、人間社会の倫理にもとる行動を平気な顔して遂行してる奴等が居ます。お願いだから、これ以上 僕らの足を引っ張らないでくれ。
経県(経県値&経県マップ)(「都道府県市区町村」)
「見境なし」てのは このことですね。意外と紀伊半島が弱点でした。
しかし やはり、東日本に住んでる時間の方が長いということが、見てると何となく分かります。面白いですね。
“クルマで寝たことがあるだけ”の県も赤色に含めちゃってますが、実は それは割と少なくて、33のうち 9つのみ です(あと、“野宿しただけ”の県が一つ)。
ただし、佐渡島は行ったことありませんし、淡路島も高速のパーキングエリアに降りたことがあるだけです。
8つの黄色を赤に変えるのが、当面の目標かな。
雪が降る、とか言うもんだから、ちょっと身構えて職場から帰ったりしたんですが、あまり そんな感じがしませんでした。だいたい、こんなに暖かくて(午後10時現在、6℃前後)雪なんか降るんですか。
社会派もどきが、年を跨いで続いています。
映画 „Grbavica“ (2005年・オーストリア=ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=独=クロアチア)
題名は、Sarajevoの一地区の名前なのだそうです。
所謂シングル・マザーのエスマと、その娘であるサラの話です。サラエボという街の名前を聞くだけで、その背景に横たわるものは、うっすらとでも、感じることが出来ると思います。監督さん(サラエボ生まれの女性です)も、観る前の人たちに映画の中身について先入観を与えたくないと仰っていますから、僕も あまり詳しく書くのは やめておきます(と言っても、公開されて かなり時間が経ってるよな)。
2008年の一発目に、重たい話を選んでしまいました。
サラエボの街には雪が積もって、空は灰色で、たぶん、意識して この時季に撮影したんだと思います。時折、人々の後ろに、壊れた建物が見えたりしています。僕は、ヨーロッパの街並みには、いつも何か胸ときめくものを感じるんですが、今回ばかりは そんな余裕がありませんでした。
綺麗なものを なんとか見付けたとすれば、それは、悲惨な時代を知らないサラの姿。
邦題:「サラエボの花」
監督・脚本:Jasmila Žbanić
製作:Barbara Albert、Damir Ibrahimović、Bruno Wagner
撮影:Christine A. Maier
音楽:Enes Zlatar
出演:Mirjana Karanović、Luna Mijović、Leon Lučev、Kenan Ćatić ほか
朝起きたら雪が積もっていてビックリ。
たしか、去年の冬は、とうとう積もることは無かったですもんね。
そして、ちょっと早く家を出た方が良いなと思いながら結局いつもと同じ時刻に出て行く無精者。でも、遅刻は しなかったですよ。
帰り道。
“246”と呼ばれる玉川通りに通じる道が、渋谷の線路をくぐる手前、まだ青山通りである辺りから やたら込んでいました。
事故でもあったのかと思って どんどん進んで行っても、クルマの列が続くばかり。
ふと、道を行くバスを見ると、乗客が溢れそうになって乗っています。なんだなんだと思っていると、歩道に いっぱい人が居て、あちこちのバス停にも長蛇の列が出来ています。
どうやら、田園都市線が止まっていたようです。しかも2回も。人が全部 バスとタクシーに流れて来たおかげで、エラいことになっていたんですね。
自転車だと、こういう時に(だけ)優越感を持てます。ただし今日は、ものすごい向かい風で、帰り着いたらヘトヘトでしたが……
て言うか、雪消えるの 早っ。
Google Earth と Google マップの航空写真がさらに新しく、鮮明になりました (Google Japan Blog)
という話が一週間前にあって、ウチの駐車場を見てみましたら、ついに僕のクルマが しっかり捉えられていました。
←これ
でも、ここまで拡大しちゃうと、あんまり鮮明に見えません。最大のところから一つ下げた辺りが いいみたい。
近所を歩いていると、玄関の扉の前で スタンドを立てた自転車にまたがって一所懸命に漕ぎながら(←つまり、その場で後輪が回ってるだけの状態)、道行く人やクルマを眺めてタバコを吸ってる小父さんが居ました。
いったい あの家では 何が起こってたんだろうな。
映画 “The Namesake” (2006年・米)
インドはカルカッタ出身の とある夫婦の半生記。結婚後すぐにアメリカ・ニューヨークに移り住み、戸惑いながらも暮らして行く姿を追います。邦題は原作の日本語版に倣っています。本は、かなり長い物語なのではないかと想像します。映画化された作品は、随分と思い切って時間を飛び越えることが多いものになりました。
ベンガル地方の「冠婚葬祭」を 色々と垣間見ることが出来ます。とても華やかです。
じんわりと良さが沁みて来る物語でしたが、しかし、どこか やり切れない思いが引っ掛かっているのが正直な気持ちです。ゴーゴリ(=ニキル)の あの後の人生模様が気になって仕方が無い。
「居ながらの旅をするために本はある」「旅に出ろ。後悔はしないはずだ」
あのお爺さんのように人に旅を勧める自信は持っていませんが、僕は本では旅が出来ない人間なので、色んなところに出掛けたい思いが積もってしまいました……なんか、この作品の受け止め方としては違ってる気がするけど。
邦題:「その名にちなんで」
監督:Mira Nair
脚本:Sooni Taraporevala
原作:Jhumpa Lahiri
製作:Lydia Dean Pilcher、Mira Nair
音楽:Nitin Sawhney
出演:Kal Penn、Tabu、Irrfan Khan、Jacinda Barrett ほか
映画 „Die Fläscher“ (2006年・独=オーストリア)
第二次大戦中、ベルリン北のザクセンハウゼン強制収容所で展開された贋札製造「ベルンハルト作戦」の模様を描いた作品。
ザクセンハウゼンは、終戦間際には連合軍の捕虜を一部 送致したりしたこともあったようですが、基本的にはユダヤ人を連れてくる場所でした。外国経済を混乱に陥れるため、印刷工などが特別に選ばれて贋札作りをさせられていたのが、前述のベルンハルト作戦です(しかし結局、効果的な結果は出せなかった)。主人公のモデルとなったのは、ロシア生まれの贋作師だそうです。生前は、その筋では かなり名を馳せていたらしい。
作戦に従事させられていた人々の待遇は、ユダヤ人の中では別格の扱いであり、あまり むごたらしい描写は出てきません。いわば、虐殺を免除されていた人たちでした。しかし それでも、戦争中の異常な状況は、時に目を覆うほどです。そのような中で、ただ淡々と贋札作りを進めて行く主人公は、感情移入を許さない何かを持っていました。さすがに恰好良いとは思えないけれど、とても迫力がある。
終戦後、全てを虚しく見つめているような、そして、全てを吹っ切ってしまったような、主人公の表情と態度に、切ない思いをしました。しかし あの人は、戦争による傷跡は抱えていたにせよ、あの後も淡々と社会の裏側を渡って行ったのでしょう(モデルとなった実在の人物も、どうやら そんな感じだったみたい)。
邦題:「ヒトラーの贋札」
監督・脚本:Stefan Ruzowitzky
原作:Adolf Burger
撮影:Benedict Neuenfels AAC/BVK
音楽:Marius Ruhland
出演:Karl Markovics、August Diehl、Devid Striesow、Dolores Chaplin ほか
信号無視して交差点に突っ込んで行って交差する道から出てきた自転車とぶつかりそうになって、その相手に向かって「っ、あぶねーな」とか悪態ついてる茶長髪のお兄ちゃんが居ました。
“自転車に信号は存在しない”の分かりやすい例ですね。呆れて物が言えない。