映画 “O Céu de Suely” (2006年・ブラジル=独=葡=仏)
ブラジルの田舎町、Iguatuが舞台。主人公のエルミーラは、サンパウロから子供を連れて、バスで帰って来ます。その子の父親も、あとから町に来てくれるはずだったのですが。
「スエリー」というのは、エルミーラが止むに止まれず名乗ってしまった偽の名前。
途方に暮れて動き回っている彼女の姿を追いかけます。熱帯の平原が広がる地の小さな町で、何とか進む先を見付けようとする。でも、やはり答えは そこに無かった……この作品自体は、次へ向かって歩き始めるまでの前日譚、と言っていいかもしれません。子供と二人で田舎町に放り出されてしまった、というのは、僕の好きな “Where the Heart is” と状況が似ていますが、今回の こちらは、ちょっと深刻です。
しかし、邦題の通り、空は いつも青空だったのでした。
面白いのは、劇中の人物に役名が付けられていないこと。つまり、俳優さんたちは、画面の中でも みんな普段と同じ名前で呼ばれているんですね。
邦題:「スエリーの青空」
監督:Karim Aïnouz
脚本:Mauricio Zacharis、Felipe Braganca、Karim Aïnouz
撮影:Walter Caravalho
音楽:Berna Ceppas、Kamal Kassin
出演:Hermila Guedes、Maria Menezes、João Miguel、Georgina Castro ほか
今日は東京マラソンの日。
昨年は思いっ切り素通りして(でも、雨だったから それで良かったかも)ラグビー見物をしていましたが、今年は、せっかくなので、ボランティアの仕事を申し込んでスタッフとして働いてみました。僕が居たのは35.5km過ぎの地点。
写真に写ってるのは、僕の傍の給水所の準備風景です。ランナーが来てからは、写真を撮って遊んでるのは憚られたので、こんな画だけです。ただし、この給水所の仕事には僕は関わってません。
では、僕は何やってたかと言いますと、要するに、ただ立ってただけ。
「コース整理」という仕事を割り当てられては居たものの、道路のパイロンは全部お巡りさんが設置しちゃうし、皆さんの観戦マナーも良いので、見てる以外にやることが無いんです。別にトラブルも起きませんでした。あ、一人だけ、具合悪そうに四つん這いになった方がいたので ちょっと声を掛けましたが、結局、その人も何とか立ち上がって歩いて行かれましたからね。
朝8時過ぎに集合して、撤収したのが15時過ぎ。その間、ずーっと立ちっ放しでした。けっこう疲れた。
僕の立ち位置には、でーんとゴミ箱が設置され(そんな話は聞いてなかった)、ランナーの皆さんがコップをじゃんじゃん投げて行きます。大抵の方は、全部飲み干すか、丁寧に中身を道に捨ててから箱に放り込むんですが、中には中身が入ったままのコップを投げて行く人が居て、そのたびに“アミノバイタル”が僕に引っ掛かります。こんな晴れの日に雨具なんぞ用意してないよ。
愕然としたのは、自分自身が「有名人」に絶望的なまでに疎いこと。宮崎県知事も、沿道の観客の方が騒ぐまで全く気付かず。
35kmを過ぎた苦しい地点ですから、最後の方の集団になると ほとんどの皆さんが歩いてらっしゃいました。
おしまいに、道路規制用の鉄柵を撤去したのが、唯一仕事らしい仕事だったかな。皆さん、お疲れ様でした。
それにしても、仕事の内容について ほとんど周知らしい周知が無かったのに、みんなが自分の判断で動いて何とかなっちゃったのが すごい。貴重な経験をさせてもらいました。
でも、来年またやるなら、今度はコース整理じゃなくていいな。
官房長官と眼鏡がかぶっていることに初めて気付きました。
粋ですねぇ、大臣さんも(ちょっと違う)。
ポニーキャニオン、月探査機「かぐや」のHD DVDを発売中止 (Impress Watch)
わはははは。
すいません。笑い事じゃないんですけど。やっぱり可笑しくてね。
おカネ儲けの目論見は、脆くも崩れ去ったのでした。わはははは。そういうセコいこと考えるから罰が当たったんだ。
自転車ツーキニスト、その本音とリスク (小島節子 / 日経BP)
わたしも自転車で最寄駅まで通っているが、歩道を通行中(車道はとても怖くて乗れない)、対向自転車の「ゆずらない、止まらない、突っ込んでくる」と併せて、ながら運転の多さを実感している。
「車道は怖くて走れない」というのは、おそらく大半の人たちの同意を得られるでしょう。
ところが、「歩道は怖くて走れない」という感覚は、ちっとも分かってもらえません。僕なんかは車道を走るより歩道を走る方が よっぽど怖いのですが、これまで同意してくれた人は居ません。
歩道は狭いし、車道に比べて整備状況が悪いので凸凹です。それに、沢山の人が秩序無く往来しているため、人を撥ね飛ばすリスクが極めて高い。歩道はクルマなどは来なくて安全だという思い込みがありますから、人は左右の確認などせずに建物から出てきます。また、人にはクルマと違って車線も無いし、方向指示器もブレーキランプもありませんから、次の行動の予測がクルマに比べて遥かに難しい。
だから怖いのです。僕の場合は、急に飛び出して来た歩行者を実際に撥ね飛ばした経験があるので(ハッキリ言って、あんなの避けようが無い)、それがトラウマになって余計に怖がっているという側面もありますが、とにかく、車輪の付いている乗り物と違って、歩いている人は往々にして突拍子も無い行動をするので、とても神経を使うのです。
しかし、それは分かってもらえない。大半の人は、そんなことに神経なんか使ってないからです。自分が撥ね飛ばされる危険は敏感に感じるのに、人を撥ね飛ばす危険は頭から飛んでいるんです。なぜか?
歩道で自転車に乗っていて、進行方向を歩行者に塞がれたら、皆さんは どうするでしょうか? お分かりですね。大半の人は、速度を落とすという当然の行為を採らず、ベルを鳴らして歩行者をどけて走り続けるという行為に出るわけです。
つまり、自分の進路から強制的に歩行者をどけて走っているので、危ないという状況になりようが無いのです。これでは、怖いわけが無いですね。
しかし、これは、何か違うと思いませんか? 歩道は本来、クルマに撥ねられたりする恐れも無く、安心して自分のペースで歩ける道のはずです。その歩道で、どうして自転車に道を譲らないといけないのでしょう? 例えば、人同士でも身体を斜めに向けないと擦れ違えないような狭い歩道で後ろからベルを鳴らされると、完全にその場に立ち止まって横を向いて、ガードレールか塀に身体を押し付けるようにして自転車を通さないといけません。自転車をスムーズに走らせるために歩行者がスムーズに歩けないなんて、何か違うと思いませんか?(思いません、という答が大半なのは分かってますよ。ヤケクソで書いてんです)
ま、そんなようなわけで僕は車道を走っているのですが、すると今度はクルマから邪魔だ出て行けと罵られるわけです。いつかも そういう反応が飛んで来ましたし、どっかの掲示板で「自転車は歩道からも車道からも出て行け」と書いている人さえ居ました。ま、世の中、それが本音なんだろうな。
春一番が吹いたのは良いのですが、その直後に風がそのままの勢いで北向きに変わりました。
気温が一時間で10℃下がるというのも、なかなか無いのではないでしょうか。
ちょっと危なそうなので、自転車を出すのは自粛します。
Man again held in his wife's 1981 killing in L.A. (Los Angeles Times)
いや、まさに、“Cold Case” を地で行く話です。あのドラマも、あながち荒唐無稽なものでも無かったんだなぁ(記事中にも LAPD cold case detectives
という記述が見られます。そういう「眠ってしまった事件」の担当者が ちゃんと居るということですね)。
「終わった事件」とか「外交問題」とか言われてますけど、殺人に時効が無い彼の国では 真犯人が見付かるまで事件は終わらないわけですし、それに、たとえ海の向こうで無罪判決が出ていても、他所の国から入り込んで来た人が自分の所で凶悪な事件を起こした疑いがあったとなれば、そりゃあ、いつまで経っても いい気持ちはしませんわな。じゃあ、真犯人は誰なのよ? って話になる。
純粋に、先行きが気になる事件です。新たに出てきた事実、とは 一体 何なのでしょう。
トップリーグ2007-2008 プレーオフトーナメント マイクロソフトカップ ファイナル
三洋電機ワイルドナイツ 10-14 サントリーサンゴリアス(秩父宮ラグビー場)
得点は少ないけど良い試合でした。残念ながら、ワイルドナイツは全勝ならず。最後の最後で負けてしまうというのも、なんだか とても可哀想な気がします。
全体を通して見ると、やはり、サンゴリアスのモールでの強さが際立ちました。北風が ものすごくて、キックが風に流される流される。両チームが空中戦に持ち込まずに じっくり攻めるやり方を採った結果、大人しい試合展開になったのかもしれません。観衆は 14495人でした。
しかし毎度のことながら、メインスタンドは陽が当たらなくて寒いの何の。
Academy Awards for outstanding film achievements of 2007 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences)
相変わらず観てない作品ばかりで すみません。
……と思っていたら、Best foreign language film of the year に選ばれた “The Counterfeiters” って、ひと月ほど前に観てきた „Die Fläscher“(「ヒトラーの贋札」)じゃないですか。
(ノミネートされてることすら知らなかったけど)ちょっと嬉しいですね。
映画 “The Kite Runner” (2007年・米)
まず、2000年のサンフランシスコから物語が始まります。アミールの初めての小説が出版されて家に届けられたところへ、アフガニスタンのラヒム・ハーンから、故郷に帰って来るようにと電話が入ります。遡って1970年。アフガニスタン・カブールでの、家の召使の子供ハッサンと過ごした日々が思い出されます。
子供は その場の感情で取り返しの付かないことをしてしまうことも あるかもしれませんが、これは……未だに何故だか僕には判りません。そして、アフガニスタンの20世紀から21世紀にかけてと言えば、外から内から大きく翻弄され続けた時代です。遠慮なく言えば、愚かです。だけど、人はそれぞれに必死に生きてる。だから、言葉も空しく響きます。
でも、人は、やり直す力も持ってると思う。だから、アミールのことを責めるのは止めておきましょう。彼も、彼なりに必死だった。
やはり、何と言っても見事なのは凧が空を舞う姿です。凧を意のままに操る子供たちと、それに応えて大空を舞う姿には感動します。これは、癪だけど、アメリカ映画の技術の力ですね。見事。
邦題:「君のためなら千回でも」
監督:Marc Forster
原作:Khaled Hosseini
脚本:David Benioff
音楽:Alberto Iglesias
出演:Khalid Abdalla、Zekiria Ebrahimi、Homayoun Ershadi、Ahmad Khan Mahmoodzada、Shaun Toub ほか
ラテン文字で名前を書くのは違う人も居るのですが、敢えて、映画における表記のままにしました。
強風
40階の上の屋上
柵無し
……怖いなんてもんじゃないさ。
いや、今日は別に無理して行くことも無かったんですけど。
会社で使わなくなった通信用の回線が何本かあって、廃止の手続きをしなきゃいけないんですけど、僕は その回線の内の一本がウチの部署の管理だということなんか全く知らなくて、しかも「要らなくなった回線の廃止は こっちの方で纏めて手続きをした」という偉い部署の偉い方の話を聞いていたので何もしなかったんですね。
そうしたら今日いきなり その偉い部署から電話が掛かってきて、アンタの部署の管理に移していた回線があるから早く廃止の手続きをしなさいと言います。移管する時、アンタの上司に ちゃんと話をしたはずだと。
そっちのほうで手続きしたって言ってたじゃん、と大変に戸惑ったんですが、ともかくも そのウチの上司に聞いてみたら、そんな回線を貰った覚えは全く無いと言われました。
アタシゃ、いったい どうすりゃいいのさ。
せっかく四年に一度の日だから何も書かずにおくのも勿体無いと思って、翌日になってから意味の無い文章の付け加え。