徒歩・徒然

2010年7月


2010年7月7日(水)

出雲空港の愛称が決定/「出雲縁結び空港」に (島根日日新聞)

米子鬼太郎空港といい……どうして、山陰の名付けは こんなになってしまうのでしょう。

確かに知名度は上がると思いますが。

「出雲空港」のままでは、いけないのかな。神様たちの居るところでしょう? そのままでも充分よい名前だと思いますよ。


2010年7月10日(土)

最近、当サイトの更新頻度が めっきり落ちていて すみません。

その理由は、既にチラチラと書いていますが、職場で上手く行っていないからです。その原因は たった一人の人にあるだけなので、そんな たった一人を受け流せないなんて お前の世渡りの仕方が下手なだけだ、と言われたら文句は言えないのですが、どうしようもないんですよね。

連日、サイトを更新しようとすると頭に愚痴しか浮かんで来ず、それをそのまま書いて行くと、おそらく非常に不愉快なページしか出来上がらないので、意図的に書くのを抑えています。どうか、その辺を お酌み取りいただきたいと思います。


しかし、今日は、書き散らします。いきさつを詳しく書くわけにもいかないので、読んだだけでは さっぱり状況が分からないと思いますが、ご勘弁ください。たまには こういうことをして発散させないと、とても やって行けないので。


メール大好き人間のクセにメールのことを理解していない、てのは、一体どういうことなんでしょうね。

つまり、文字だけでコミュニケーションを取るのは、本質的に限界がある、ということを です。本人は理解してるつもりなのかもしれないけど、悲しいかな、実践が全く伴ってない。

「自分の書いたメールについては、意図が必ず こっちに伝わるはずと思ってる」「こっちが返したメールについては、こっちの意図を全部読み取ったと思ってる」この満々たる自信は、一体どこから来るんでしょう。ハッキリ言って、信じられない。確かに、何でもかんでも「完璧に」こなす人ですけどね。それ故に、自分に自信を持ちすぎなのでは?

僕の嫌いな「空気読め」という言い回しを使われたので思わずカチンと来たということもありますが、落ち着いて考えても、メールで空気を読むことを相手に期待する方がおかしい。て言うか、僕は頓珍漢なことを返したつもりは毛ほども無いんですけど。単なるジョークですよ。あんたの方こそ空気読めや。

よほど気心の知れた人同士でなければ、文字だけで全ての意図が間違いなく伝わるなんて あり得ません。これは、メールでも掲示板でも、ブログのコメント欄でも、同じことです。で、それは、誰が悪いわけでもない、その手のメディアが持つ根本的な性質です。

単なる字の読み間違いから始まって、行間を読まなかったことによる誤解、逆に、行間を読み過ぎたことによる誤解、書いた人の感情の動きが分からないことによる誤解、読み手の思い込みによる誤解、様々な誤解が積み重なって、書き手の意図は完全には通じなくなります。ネットニュースの全盛期あたりから、僕は、様々な場面で見たり実際に体験したりしてきました。それらは「文字だけ」のものが持つ宿命です。なるべく誤解を生じないように努力することは必要ですが(それを やっているとも思えないんだよな、正直なところ。メールが いつも簡潔すぎて、無愛想な印象しかない。これも、自分に対する絶対的な自信が為せる業なのでしょう)、宿命から完全に逃れることは出来ないのです。

それを、一方的に僕の方が悪いみたいな書き方をするので、ほとほと呆れました。メールの持つ性質を分かっていない。あるいは、分かってて意図的に無視してるのか。いずれにしても、僕には理解できない。

顔を付き合わせた会話でも、自分の考え方と ちょっとでも違うことを言われたら 全力でそれを否定しにかかる人だから、もう、しょうがない。それを立派な教育的指導だと認識してるんだから。メールで まともな意思疎通なんか出来るはずが無い。あれだけ何でもかんでも完璧にこなす人なのに、どうして、「他人のことを認める」ことだけが出来ないんだろう。やっぱり、世の中、聖人君子なんか居ない、ってことなのか。

考えてみれば、あの人が他人のことを(知人だろうが そうでなかろうが)褒めてるのを聞いたことが無い。好意的に見れば「理想が高い」ということなんでしょうけど、これまで見てる限りは、単に自分の意図に沿わないものを本能的に拒否してるだけ、にしか見えません。自分と同じ人なんか世の中に居るわけないから、自然、誰も彼もが不完全に見えるわけですね。駄々っ子っていう歳じゃあるまいし。なんで、いい大人の機嫌を損ねないように「おーよしよし」って あやしてやんなきゃ いけないのか。全くもって馬鹿馬鹿しい。まぁ、これが給料のうちに篭ってる、っていうのなら我慢するよか仕方ないけど。


あーあ。

今日は せっかく、ウチの高校が県予選の一回戦を初めて突破して、いい気分になってたのに。台無しだ。


2010年7月17日(土)

広島 0 - 4 中日 (広島市民球場)

― 4番で打線が切れる ―(2三振の嶋)

広島球場に行ってきたのですが、ぜんぜん点が取れませんでした。前田さんも打てないしなぁ……

昼間はバカみたいな陽射しと暑さでしたが、日が暮れてからは涼しい風も吹いてきて、ナイトゲーム観戦には もってこいの日和となりました。二階席からの眺めも、見やすく造ってあって いいですね。

器は最高なのにチームが最低の状況ですからね。最後の方は、ギャグとして楽しむしかありませんでした。8安打で0点。ランナーを帰せそうなバッターが見当たらない。どうすりゃいいものやら。


実は、今、18日の夜になって更新作業をしていますが、今日も0点くさい。

→0点でした。ただ、言っとくがな、中日の投手陣諸君。勘違いするんじゃないぞ。あんたたちの腕程度で抑えられたのは、相手がカープ打線だからだ。他のチームには通用しないから、その辺、きちんと心得ておくように。


2010年7月20日(火)

阪神 5 - 4 広島 (阪神甲子園球場)

悲しいぐらいブルペンにまともなピッチャーが居ませんね。いや でも、たしか昨日は、散発3安打に抑えたんじゃなかったでしたっけ? 負けるチームの典型ですね。投打が全く噛み合わない。

10回表に2点も勝ち越して、普通のチームだったら楽勝ですよ。ホームラン二発で あっさり逆転サヨナラなんて。漫画だって こんな分かりやすい筋書きになんかしないでしょう。

どうせ負けるなら、また完封されて球団新記録でも作れば良かったのに。これじゃあ、ギャグにもならない。何にも面白くない。


昨日から、簡単にホームラン打たれてますけども、打たれた球は 全部 大甘でした。配球だの何だの言う以前の問題です。誰も彼もコントロールが出来てない。肝腎なところでド真ん中に行く。これは、練習したら どうにかなるモンなんですかね。もし どうにかなるのなら、早いところ練習方法を確立させて どうにかしましょう。どうにもならないのなら、多少おカネを掛けてでも、いい人材に来て貰うことを考えましょう。今シーズンは、もう諦めるより手が無いですから、将来にわたって活躍できる人材を確保することに腐心しましょう。

負けからは、多くのことが学べるもんです。今シーズンは、みんなで学ぶことに徹しましょう。早いところ「その他大勢」に育って貰わないと、どうしようもない。(……って、同じことを15年ぐらい言い続けてるような気もしますが)


2010年7月23日(金)

暑いなぁ……

しかも今日は、半袖のTシャツで炎天下に出させられる、という変な仕事のおかげで、腕が真っ赤に日焼けしてしまいました。なんか「痛痒い」んです。昔は陽射しの下で遊ぶくらい何ともなかったような気がするんですけどね。困ったもんです。


2010年7月25日(日)

森毅氏死去 京都大名誉教授 (47NEWS / 共同通信)

森毅先生の著作は それこそ星の数ほどあるので 殆ど読んでいないのが正直なところですが、1982年に童話屋から出版された「すうがく博物誌」を愛読していました。安野光雅さんが挿絵を描いた、数学(について書いてあるような気がする)の本です。出版された当時は中身が さっぱり理解できなかったんですが、高校生ぐらいになってから改めて読んでみたら とても面白くて、ハマッてしまいました。

内容は、一ページに一つずつ、数学の色んな事柄が簡単に書いてあるというもので、いわゆるアイウエオ順にならんでいます。上下巻の二冊もので、あとから、一冊に纏めた版が出されました。書いてあることは、おそらく他の著作と被っているものが多いのではないかと想像します。しかし、それぞれの記述が短く纏まっているので、森先生の「考え方」や「面白さ」が上手く凝縮された本になっていると思います。安野画伯の挿絵も、適当に描きなぐったように見えて、なかなか味のある絵で素敵です。

本の中にある項目の例を挙げると、

エルゴード性

赤い粒と白い粒とが、かきまわされて流れているとする。1つの場所で眺めていると、赤い粒や白い粒がいれかわりながら現れるが、赤い粒の出てくる割合(時間的平均)は、もしも流れがよくまざっていれば、この世界全体での赤い粒の割合(空間的平均)に近いだろう。この性質をエルゴード性という。
現実の世界では、エルゴード性をもった現象が多いので、人間は無意識的に、時間的平均と空間的平均とを混用している。

このように、真面目な用語解説をしてる項目もあれば……

デカルト

近代ヨーロッパの分析的知性のはじまりを、デカルトのように言うが、デカルト本人は朝寝坊でゴロゴロと考えごとをするのが好きなナマクラ人間だった。
ところが、スウェーデンの早起きの若い女王が、朝寝坊のデカルトを起こしたので、彼は風邪をひいて死んだ。

と、面白おかしく人物紹介をしてる項目もあります。

中には専門的すぎて意味の分からない記述もありますが、砕けて可笑しい書き物もたくさんあって、数学というのが単に数式をいじくるだけの物ではないことを教えてくれる、面白い案内書だと思います(ただ、結果的に僕は、大学に入った途端に数学には挫折してしまいましたが……)。今でも僕の愛読書の一つです。

さて、高校生(つまりは大学受験生)の僕に 一番 影響を与えたのが、次に紹介する項目でしょう。

ゼロ

数学の採点者にとって、白紙答案ほど嬉しいものはない。良心の痛みなしに、安心して0点をつけられる。なにか書いてあると、なん点にしようかと悩まねばならなくなる。

これを読んだ僕は、試験で白紙の答案を出すことは、なくなりました。さっぱり答えが分からなくても、とにかく何でもいいから何か書いて出すことに決めたのです。まあ、書いても これじゃあ0点だろうな、と諦めていたことは無数にあったのですが、「安心して0点をつけられ」て たまるかと、ささやかな抵抗をしていたつもりです。それが どのくらい奏功していたかは、当時は採点結果が公表されていなかったので、正確には分かりません。でも、大学という場に なんとか滑り込むことが出来たわけですから、何がしかの恩恵は あったのではないか、と思ってます。

どうやら絶版にはなっていないようなので、興味のある方は、ぜひ。

謹んで、お悔やみを申し上げます。


2010年7月26日(月)

だから、原因がハッキリしない時点で「ああかもしれない」「この可能性がある」って適当に推測を並べ立てるのは やめましょうよ。何の役に立つんですか。

こういったマスコミの節操の無さって、洋の東西を問わず同じなんだな。

このところ起こった二つの事故(スイスの列車の脱線と、秩父のヘリコプター墜落)の報道を見て、つくづく思いました。

そりゃあね、遺族の方々は「なんでこんなことが起こったんだ!」と熱くなってるかもしれませんが、第三者まで それに付き合う必要は無いでしょ。こういう悲惨な出来事こそ、じっくり調べて疑問の余地なく原因を突き止めて、二度と同じことが起こらないようにしなければいけないんです。冷静な眼で事故を見詰めて、思い込みや根拠の無い推測は とことん排除するべきなんです。識者の推測だか記者の思い込みだか知りませんが、今の段階で根拠の無い「原因」を勝手に陳列して、何の意味があるんだか。

あの「松本サリン事件」から何も学んでやしねぇ。「犯人」を捏造することの悲惨さが、結局、上から目線の連中には分からないってことなのか。

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written by tardy@k.email.ne.jp