年度が明けまして、松江ではゴミの出し方(分別の仕方)が ちょっと変わりました。
これまでは「燃やせるゴミ」の範囲が大変に狭く、紙とか生ゴミとか、本当に火を付けたらすぐ燃えるようなものでないとダメでした。ビニール袋とかプラスチックとかは全て「燃やせないゴミ」にしないといけなかった(「焼却炉が傷むので出さないで下さい」とか書いてあった)。それが、要するに、何でもかんでも燃やせるゴミに出して良いことになったんです。燃えないゴミを捨てるところが容量オーバーにでもなったのでしょうか?
で、良く分からないのが、これまでの「燃やせるゴミのゴミ袋」が そのまま使えないこと。これまでの袋が大量に余っていると言うのに、新しい方の袋でないと「燃やせるゴミ」が出せないのです。古い方のは、リサイクル用(プラスチック容器や紙容器)を出すのに使えますとのこと。なんのこっちゃ。
出雲の唐川町にある韓竈神社(からかまじんじゃ)というところに行ってみました。
集落を通り抜け、林道をしばらく走ると、鳥居の前に出ます。集落のところには「この付近は道幅が狭く、未舗装路で、携帯電話の電波が届きません」と脅かすようなことが書いてある看板もありましたが、ごく普通の山道です。駐車場もあるので、クルマでの進入に問題はありません。僕の他にも何台か居ました。
普通じゃないのは神社の方。
まず、鳥居の所から登って行く階段が、ものすごく急。自然石を使った階段は、当然のように一段一段の大きさがバラバラで歩きにくいし、苔が生えていて滑りやすい。脇にロープや手摺りが きちんと こしらえてあるのが救いです。登り口には杖が備えてありましたが、とりあえず僕は、それは使わずに登って行きました。途中ですれ違った女性に「杖持たないで大丈夫ですか? 結構大変ですよ」と声を掛けられました。「たぶん大丈夫だと思います」と答えて そのまま登って行きました。事実、大丈夫だったんですが、そう言われるのは納得です。
そして、一番の難関が 社のすぐ手前の この岩。
岩の隙間は、人が一人やっと通れるぐらいの幅です。しかも、ご覧の通り、身体を斜めにして通らないといけません。カメラを抱えて抜けるのは、正直、大変でした。
反対側にある お社は こんな感じ。岩の隙間が ちょっと見えるかと思います。記帳用のノートが備え付けてありました。
「霊験あらたか」などというコトバを思い出してしまう所でした。それにしても、なんで こんなところに神社を造ったのでしょう?
さて、問題のプロ野球の開幕。
でも、世の中から何と言われようと、僕は今年も広島カープを見続けて行きます。
最後の方だけテレビ観戦。簡単に点を取られて、11安打で たったの4点……。まったく成長の見られないチームだなぁ。
もう、腹も立ちません。いい加減、「勝てば めっけモン」ていう心境で観るのを やめたいんですけど。
「のび太と鉄人兵団」の新作を観に行ってみました。
平日夕方という微妙な時間帯で、公開からひと月以上が経っている作品ですから、松江のシネコンの一スクリーンは僕の貸し切りになってしまいました。大丈夫なのか、あそこ。
この作品は、ドラえもんの映画の中でも一、二を争う好きな作品で、旧作に対する思い入れもかなりのものなんです。それだけに、正直なことを言うと、リメイクなんかしないで そっとしておいて欲しかった。声優陣が変わってからの映画作品は、どうにも頑張り過ぎの気味が抜けないので、入れなくていい手を入れられてしまうのが心配でした。しかし、作られてしまったものは仕方がない。こうなったら、観に行くしかないです。
以下、思い入れの強さから、かなり細かい評論になります。この話を知らない人には わけが分からないと思いますが、ご勘弁ください。
まず、のっけから首を傾げてしまう脚本が。
冒頭の場面で、いきなりメカトピア星でロボットたちが決起集会みたいなのをしてるシーンが出てきました。最初から彼らの存在を明かしてしまっちゃあ、ダメでしょう。のび太が たまたま北極で拾ったボールみたいなものと、空から降ってきた巨大ロボットの部品。そして、突然あらわれた空を飛べる少女。一体、これらは何なんだ、というミステリーが この話の前半の軸であるはず。それが、ド頭で盛大にネタばらしされて、緊迫感が削がれてしまいました。
ピッポというものの存在。当然、賛否両論ありますけれど、僕は無理矢理なゲストのように感じました。
ドラ・のび・ジャイ・スネの男性陣は、より実際的な方法を思い付き、敵であるロボットの頭脳を機械的に改造して味方につけた。一方で静香は、意図していたかどうかは ともかく、献身的にロボットの少女の手当てをすることで 変わるはずのない彼女の心を変えてしまった。この見事な対比こそが、感動の終幕へ向かっていく物語のキモなのです。しかし、男性陣側にピッポという存在が加わることで、その対比が曖昧になってしまいました。確かに、彼らの心の移ろいようの描写は分かりやすくなりましたが、あっちとこっちで おんなじような話が展開して、なんだかゴチャゴチャしてしまっています。そして、ピッポにはミクロスに代わって“コメディリリーフ”の役割をも背負わせようと頑張ってしまったため、しんみりさせられたと思ったら笑わせられて、大変に忙しい。やはり僕には、流れる物語の中に余計なものが入ってしまったような、そんな違和感がありました。
おしまいのクライマックスの演出は、こっちの新作の方が好き。旧作では、いちばん盛り上がってるところで余計なことを言うヤツが居て興醒めなのです。画面効果の美しさも、技術の進歩を感じさせますね。
主題歌については、比べて話をする方が酷と言うもの。旧作の「わたしが不思議」は、オーケストラを主にした編曲と その劇中での流し方が、あまりに上手く出来過ぎている。あれを超える演出なんて無理な話です。下手に対抗意識を持たず、エンドクレジットに乗せて流すだけにした やり方は、正解だったと思います。
そして、ラストに登場する二人の容姿は、ちょっと大仰すぎやしないかなぁ? 気持ちは分かるんですけど。
……と、なんだかんだ言っていても、話の結末は知りすぎるくらい知っていても、最後に感動してしまうのは、これはもう、藤子先生の物語が素晴らしいからに他なりません。ドラえもん、ばんざい。
国道493号線にて。
場所は……良く分かりません。室戸岬の北側のところの どっかです。ぐるっと岬を回るのと、この道を うねうね行くのと、どっちが早かったでしょうね。似たようなもんかもしれないな。
遊んでるんならボランティア活動でもしなさいよと言われそうですが、すみません。で、今は、何故か三重県に居ます。明日は、志摩半島でも見物して、夜には静岡県ぐらいに入れるかな。
今朝は国道42号線に居たものですから、志摩半島に続いている国道260号線に早いところ出たいなと思って、道を探しました。
で、通ったのが 三重県道46号(南島大宮大台線)。単に地図を見て近そうに見えたから決めただけだったんですが、これが とんでもない道でした。
とにかく狭い。峠道に入る前に「大型車通行不可」の標識が何個もありましたけど、小型車でもヒヤヒヤものです。しかも、谷側にガードレールが ほとんど ありません。切り返さないと曲がれない鋭角カーブもいくつか(これは、運転が下手なだけ?)。番号二桁の県道を走っていて ここまでヤバイと感じたのは初めてです。引き返そうにも転回できる場所は無い。対向車が来たら もう おしまいだと思いました。
舗装されてるだけマシと言うべきなのか……
運のいいことに、すれ違った対向車は一台だけ。それも、若干、道幅の広いところだったので助かりました。しかし、あの2tローリー車、遠回りでも他の道を行った方が良いと思うんですが……
志摩半島の登茂山(ともやま)展望台から。
この辺りは、本当に穏やかな海が広がってます。ただ、熊蜂みたいなのが そこいら中でブンブン飛んでいて閉口。何の季節なんだい、今は?