実は日が変わってから書いているのですが。
3晩連続して夜中の仕事をやってきました。いつ寝ていつ起きているのか、いつ仕事をしていつ休んでいるのか、自分の体が判断できなくなっているのが良く分かります。
帰ってくるとき、真昼間の12時ごろに車に乗っていたのですが、どう頑張っても外の景色が夕方に見えてしまうのです。
その次の日、日中の勤務をやろうとしても、体が言うことを聞きません。
起きないと遅刻するよ! って言ってるのに、目がとろん、頭がどろん。
次に時計を見たときには、出勤時刻がすぐそこ。
あー、いけねいけね。と、ぼんやりしながら身支度をして表に出ます。
表に出ると、寒い。
とたんに眼が覚めました。
どうやら、昨日の天気予報は当たりそうですね。空がどよん。これ、冬の空だよ。雲が灰色いよ。
しばらく歩くと、空からざーっと何者か降ってきました。
うおー、雪だ雪だ。なんか、あられみたいだよ。小さい粒が道路に跳ねてます。でも、こりゃ、雪だ。
風が、びゆー。
さみぃ。手が冷てぇ。早く職場に着こう。
裏口に駆け込み。土日はカギが掛かってるんですよね。ピッピッピッ、と番号を押してやらないと開きません。あ、間違えた。手がかじかんじゃってるんだよ。勘弁して。早く中に入れてくれ。
文明の利器は恐ろしいもので、先ほどまでの寒さはどこへやら。
部屋に入ったとたん、また眠気が襲ってきてしまいました。あと8時間半。
そして、帰る時も、はらはらと空からは白い贈り物が。
でも、風が弱くなっていました。そうなると、それほど気温は下がってないなと、分かります。うん、まだまだ本格的な冬ではないぞ。
出張先での出来事ですが、ついに“道を歩きながら携帯電話で話をする”ことをやってしまいました。
いつも、いやあ仕事人間ご苦労さん とか思いながら見ていたサラリーマンの仲間入りです。
しかも僕は、なぜか、携帯電話から話すとき、あるいは携帯電話の相手と話すとき、声がやたらデカくなる癖があるんです。目に見える形でつながってないのが、心に影響してるのでしょうか。
すれ違った女性の表情には、なんとも言えないものがありました。ごめんなさい。驚かすつもりは無かったんですよ。
いつでもどこでも連絡が取れる。ってのも、考えさせられます。
歩道の上にも危険が沢山。
一転して雨です。傘をさして歩いていました。どこかのコンビニで急場しのぎに買ったはずのビニール傘を、ずっと使いつづけています。いわゆる半透明という曇ったものなので、傘の向こうは良く見えません。
とある額縁屋さんの前を通りかかったときでした。突然、傘が何者かにぶつかりました。次の瞬間、傘の開いた骨を支える斜めの小さな骨(ややこしい。正式な名前はなんていうんでしょう?)が、僕の頭に ゴスッ という感じで食い込みました。
何が起こったか、とっさにはわけが分かりません。見ると、その額縁屋さんの看板でした。歩道に張り出した看板は、僕の頭が楽にぶつかってしまう高さなのでした。
危ないですよ、あれ。晴れてる時はいいけども。
定時に出勤して仕事を始め、定時に仕事を終えて家路につく。なんと素晴らしいことでしょう。久し振りだなあ。こんなに健全な感じがするなんて。
と言っても、16:30〜10:00が定時な時点で、あんまり健全じゃないような気も。
とにかく、なんにも起きなくて良かったです。夜の間の使命は果たした! あとは日勤の皆様、頑張って下さい。
あ、それから、何かあって呼び出す時は注意して下さいよ。電話のコードを引っこ抜いて寝ているかも知れんですから。
※ヒジカタさん宛の間違い電話(11月12日の項を参照)への対策で、どうしても寝たい時は、そうすることが多いんです。「休みというと連絡がつかない」と自分の職場から苦情が来ることも確かなんですが、その他に電話が掛かってくる当ても無いので、別にいいかなぁ、と。
郵便受けを見ると、「お届けにあがりましたがご不在でした」。
日付は昨日の午後5時ごろ。
あれ? 昨日はずっと家にいたはずだけどな。
記憶を辿ったところ、その時刻には、ぐっすり眠りこけていたことが思い出せました。
しかし、全く呼び鈴に気付きませんでしたよ。よほど疲れていたのか、寝るのが好きなのか。
今朝、秋田市でも氷点下0.7度まで冷え込みました。
いわゆる“放射冷却”です。
その代わり、日中は比較的暖かくなりました。天気も良かった、自転車にも乗れた。
帰ったら、地元紙、秋田魁新報(あきた さきがけ しんぽう)の夕刊が入っていました。とってないんですけど。
それにしても、「夕刊」という名の薄い新聞を自宅で手にするのは、本当に久し振りです。
今日の目覚ましは間違い電話。
もう、いいかげんにしておくれよ。
ちょっと解説しますと。
ウチとヒジカタさんの電話番号は、ある位置の“3”と“9”が入れ替わっているのです。
この二つ、手書きなら区別をつけるのは易しいのですが、活字だと結構カタチが似ています。何かの拍子に見間違えることもあるでしょう。
そして、どうやら、ヒジカタさんは職場の名簿か何かにウチの電話番号を載せているらしく(おそらく、事務の打ち込み担当者が見間違えたのだと思います)、どんどん影響が拡大していってるというわけです。
「違いますよ」と言うと、相手によっては「×××−××××ですよね?」と確かめてくるのですが、それがことごとくウチの電話番号。
先日など、近所の花屋さんから掛かってきました。
「どうも、○○(花屋さんの名前)です」
「え?」
「あれ? ヒジカタさん、のお宅ですよね? ×××−××××」
「……あ、あの、それは確かにウチなんですけど、ヒジカタさんの所は……」
「乾いちゃう洗濯機、予約開始」の宣伝をテレビで見て、洗濯・脱水が一緒になったんだから、そりゃあ乾燥も一緒にしようと考えるよね。でも、確かに便利だ、と思いました。
しかし、一瞬画面に映った値段
16万5000円!
やっぱりハンガーに吊るして乾かそう。
今日は一日、ふわふわと眠かったので参りました。
なんでだろうな。昨日はちゃんと寝たのに。
なので、寝かせてください。ねどこ寝床。掃除はあしたね。
このところ連日のように、本格的に雪だるまが天気予報に出ていて、実際降ってるんですが、積もりません。
「地面が暖かいですからね」とは、ニュースキャスターの弁。
これで暖かいんかい。
ま、数字を見ればね。4度とか5度とかまで上がってますから。
コタツで寝ていたら、外に出していた手が冷え切ってしまいました。
今日は、書くことが思い付かないので、ふと、昔のことなんぞを。
(ご注意。これから書くのは、もしかするとキタナイ話と感じる方が居るかも知れません。なるべく下品な表現は避けようと思いますが、題材が題材だけに限界があります。不快に思われる方には先にお詫びしておきます)
男性の方。小学校で、便所の“大”の個室に入ること、やっぱり出来ませんでしたか?
僕の通っていたところも、そこに入る輩などいるはずがないという空気でした。新聞の家庭欄や投書欄を見ると、どうやら、全国的に同じ傾向があるようです。少なくとも、この20年ぐらいずっと。
しかし、今となっては、何故なのか分かりません。汚いところと思われていたのか、“大”は家で出して来るのが決まりだったのか。本当に、いったい何故なのでしょう。
全くの御法度だったわけです。入って行ってはいけない所だったと言ってもいいです。いつも扉は開けっ放し、据付の和式便器の清掃など必要がありませんでした。
小学校4年生の時のある日のことです。
時間帯は忘れましたが、僕に猛烈な排泄の欲求が襲ってきました。それまでは、学校中の雰囲気に押され、“大”の空間に入ることを避けてきたのですが、今度ばかりは我慢できそうにありません。
休み時間になり、こっそりと教室を抜け出して、空色の塗装がなされた最寄りの便所に向かいました。ここで、上の階か下の階に行っていればよかったのかも知れませんが、切羽詰まっていた僕は、そのような考えを起こそうともせず、普段の習慣に従って、いつも利用しているところに行ってしまいました。よその階や便所に行くのは、“大”空間に入るのと同様、御法度であるという空気があったことも述べておくべきでしょう。
中に入ると、うまい具合にだれも居ません。
僕は、やや躊躇しながらも、禁断の空間に入って行き、錠を下ろしました。
僕の家の便器は洋式でした。椅子に座るのと同じ感覚で排泄作業の姿勢が取れたわけでした。ところが、学校の設備は違います。慣れない姿勢に戸惑いが生じます。それでも、なんとか出て行くものは出て行き、次第に楽になってきました。
やがて、誰かが便所に入ってきました。会話と足音で、複数であることが分かりました。このまま誰も来なければありがたいなと思っていたのですが、儚い期待に終わりました。休み時間である限り、誰も来ないなどということは、およそあり得ないのです。
その人達の目には、違和感を伴うとも言うべき光景が飛び込んだのでした。
“大”の扉がひとつ、閉まっています。
この頃、“大”の扉を閉じて錠を掛け、一枚板の壁を乗り越えて外に出てきて、誰も入っていないのに入っているように見せるというおかしな悪戯が、まれに行われることがありました。しかし、扉の下には隙間があり、そこから中を覗き込めば、足が見えるか見えないかで、人が居るかどうかはすぐに分かります。閉まっている“大”の扉を見つけた時は、まず、扉の下から中を見るというのがお決まりでした。で、「なんだ、また悪戯だよ」と、その時一緒に居る連中の中で一番活発な男が、扉をよじ登って中に入り、錠を開けて出てくる段取りになるわけです。
一人が、腰をかがめ、顔を床に近づけてこっちを見ました。ここまでは、普段通り、お決まりの出来事です。
しかし、この時は、ここから先が違いました。
「誰か入ってるぞ!」
驚愕と興奮に満ちた声で、会話が交わされました。さながら大事件です。
僕は、まだ残りの感覚があったので、立ち上がるわけには行きませんでした。
そのうちに、扉の外の人間の数が増えてきました。先ほどの人達が、事件を教室に報告したのです。
ざわざわしています。「誰だ?」という声がします。「臭いぞ!」という怒鳴り声が飛んできます。隣の個室の壁によじ登って、中を覗こうとする人まで現れました。
もうこうなったら、自然の欲求も何もありません。あれだけ暴れていた大腸も、すっかり大人しくなってしまいました。
紙を千切ります。残った物を拭き取ります。下ろしたズボンを引き上げます。
一連の動作による音は、外にも聞こえているはずです。
誰が出て来るのか。期待に満ち満ちている外の空気が、中にも伝わってきます。
前方の金属レバーを押し下げ、水を流しました。外の緊張は、極限まで高まっています。
錠を外し、扉を開けました。
そこには、まさしく黒山の人だかりが出来ていました。会場をあとにする芸能人を待ち受けるファンのごとく。
外に人が集まっているのは分かっていましたが、まさかこんな大人数がたむろしていようとは予想できませんでした。
少なく見積もっても、20人は居たでしょう。便所の定員をはるかに超過し、押すな押すなの盛況です。僕のクラスの人間だけではありません。各クラスの休み時間はまちまちになるのが普通だったので大半は知っている顔なのですが、その階のその一角すべての教室から有志が集結しているのではないか、と思ってしまうほどでした。
僕のクラスの人間は「なんだ、おまえか」と言います。他のクラスの人間は、こんなことをする奴が本当に居たのか、あいつはいったい何者だ、といった表情でこっちを見ています。
僕は、曖昧な笑いを浮かべつつ、なるべく誰とも目を合わさないようにしながら、手を洗って教室に戻りました。
心の中では、ずっと繰り返していました。「別にいいじゃないか。いいじゃないか」
小学校卒業まで、僕は二度と“大”の空間に足を踏み入れようとは思いませんでした。
このあと、これをネタに いじめられた とか からかわれたとか、そういった事はなかったんですが。
出るものは、どうしたって出ますよね。