徒歩・徒然

2001年2月上期


2001年2月1日(木)

雨が。
雨が。
2月に雨が。

何がどうなっておるんですか。
プラスの5度2分になって、しかも雨なんて。春か。


僕なんかよりよほどしっかりした考えを持ってるんだろうし色んな経験積んでるんだろうし言葉の操り方も巧みなんだろうけど「です」に “DEATH” なんて単語を当てて平気な顔してられる人なんて底が知れてると僕は思う

僕は、ですよ。
そんなどうでもいいことに目が行ってしまう自分もどうかと思いはしますがね。


2001年2月2日(金)

そして今日は、最高気温がプラスの0度2分でした。
一気に5度も下がったことになります。

さらに明日は、吹雪の予報。


2001年2月3日(土)

さて、今日のものすごい天気をまとめますと、

こんな中、よせばいいのに買い物に出ました(冷蔵庫には食料が入ってない、財布にはお金が入ってない、というわけで出ざるを得なかったのです)。

ダウンジャケットのフードが風であおられてあまり役に立たないのはいいとして、顔が痛い。手が痛い。
北へ向って歩くと、もろ正面から風と雪がやって来るので、かんべんしてくれー! という気分になります。

おとといのあれは、まさしく 嵐の前の静けさ だったらしい。

しかし、素の脚で歩いててよく平気ですな。高校生のお嬢さんがた。


トップページだけ いじってみました(あんまりそんな感じはしませんが、けっこう苦労させられてます)。

全面的にスタイルシートのお世話になっているので、ブラウザによって表示のしかた(してくれかた)に差があります。3つのブラウザで表示させながら作業をしたんですが、結局 Netscape 6 に一番いい顔をしたみたいになっちゃってます。
Macintosh では ぜんぜん確かめてないんですけど、とりあえずはご勘弁を。

※当方、自宅の環境で確認したのみで安心しています。表示に不具合を生じている方、お申し出ください。


2001年2月4日(日)

「立春とは名ばかり」とは毎年この日だけ出てくるウチの親父の十八番ですが、まったく名ばかりです。
今日も、氷が融ける温度まで上がりませんでした。

あ、そうそう。去年の12月2日に書いた動物園からいなくなったヤマアラシですが、無事見付かったそうです。
発見されたのは動物園の近くで、どうやら遠くまで行くことは出来なかったと見えます。この真冬に、どうやって食べ物を見つけて暮らしていたんでしょう。


2001年2月5日(月)

銀行で、携帯電話の小さな画面を見ながら振込先の口座番号や名前を用紙に書いている方がいました。おそらくその方は、いつも携帯電話をメモ代わりに使っているのでしょう。
その辺の紙にメモするなんて、もう、時代遅れになって来ているのかも知れません。

いいんです、いいんです。
時代がどうなろうと、いま僕が(仕事上はともかく)個人的に携帯電話を持つ必要がないってのは変わらないんです。家の電話すら滅多に鳴らないくらいだもん。


2001年2月6日(火)

夜勤明けの体で4人前のざる蕎麦を食べました。ナゼかは伏せて。

いつまで経ってもお腹が減りません。

680円で一日持ったんだから良しとすべきか。どうすべきか。
薬味のワサビのきいたこと。鼻には いまだその感触が。


2001年2月7日(水)

辺りは冷えています。
道は白いままです。
でも日の落ちるのが、だんだんあとになっています。
それで分かります。春がこっちに来ています。
もっと自由に、もっと思いっきり、動ける季節が。


K_E様。

 その後いかがでしょう? 当ページはきちんと読めていますか?
 いろいろ検討したのですが、当方としては、ファイルはきちんと作成できている(と思っている)ので、結局、今までと何も変える必要はないという結論に達してしまいました。
 Internet Explorer は、手動でエンコードを JIS (ISO-2022-JP) に設定できないので、当ページを見る時には「日本語(自動選択)」にしておくしかないみたいです。それ以外の「日本語(シフト JIS)」や「日本語(EUC)」を選択していると、こちらの環境でも文字化けしました。
 head の meta 要素には符号化方式が JIS である旨きちんと書いてあるので、自動で選んでくれるはずなのですが。

※ただし掲示板は、CGIの方で EUC-JP に変換しているようなので、あらかじめ EUC-JP にしてあります。


2001年2月8日(木)

ほぼ定時退社してきました。文句はないな。

僕と事務スタッフを除いて事務室ががら空きという状況が本日発生いたしました。
二人で電話番みたいなもんです。

 「すみません、今日は現場に出て行きました」
 「すみません、ただいま会議中です」
 「すみません、今日から一週間出張です」
 「すみません、今日は明けで帰りました」
 「すみません、来週の準備で出かけました」
 「すみません、打ち合わせで隣の会社に行ってます」

やれやれ、一体どれだけ電話を断ったんでしょう?

そりゃあそうですね。どんどん人が減らされて、どんどん業務が増やされて。
居る人を居るだけ全部出すより しょうがないわな。


2001年2月9日(金)

さて問題です。
 納豆は、賞味期限を過ぎてからどのくらいまで、食べても平気でしょうか?

一週間過ぎたのが冷蔵庫の奥から出てきました。
すっかり忘れてましたよ。

どうしましょう。
上の答えを自分の体で確かめる? それは……


2001年2月10日(土)

仙北郡 西木村へ行ってまいりました。
こちらの紙風船上げがお目当てだったのですが、それにしても寒い!
会場でふるまわれる温かい料理も、すぐ冷めてしまいます。なにせ、でっかい焚き火が赤々と燃えているのに、その周りの雪が融ける気配すら見せないんですから。

同じ秋田県の沿岸と内陸でこうも違うかという。秋田市に帰ってきて こっちはあったかい と思ってしまいました。


2001年2月12日(月・休)

特急「白鳥」号に乗ってきました。青森から大阪まで
(ハッキリ言ってアホくさいです。この特急に乗るためだけに出かけたわけです)。

新幹線を除けば、昼間走っている特急の中で一番長い距離(1000kmちょい)を行く列車です。青森から日本海側を 秋田・新潟・富山・石川・福井・滋賀・京都と過ぎて大阪に至る。いわゆる「日本海縦貫」をやる名物列車なのですが、この3月2日をもって廃止されることになりました。
西日本方面へ旅行しようという時にいつか使ってやろうと悠長に構えていたんですが、先日、この決定が下ったことを 突然 知りました。
オイちょっと待ってくれよ そのうち乗ろうと思ってたのに と言った所で仕方がないので、ムリヤリ出かけることにしました。

始めに、全体としては楽しい道中であったことを書いておきます。大混雑の車内で、知り合ったばかりの僕のために席を確保してもらったりもして、本当にありがたかった。
一つの電車にこれだけ長く乗っていることは、今後 国内では出来ないだろうと思われるので、その意味でも貴重な体験でした。

ただ ですね。
やっぱり3連休の最後の日ということで、僕とおんなじようなことを考えている(ある意味おかしい)人たちが沢山いたんです。その人たちに言っておきたいことがいくつか。

「鉄道ジャーナル」とか「鉄道ファン」とか。その手の雑誌を好んで読んでいる人は、鉄道に乗ることもおそらく好きでしょう。そういう雑誌をよく読んでいるのに乗るのはあんまし好きじゃない なんて人は、多分いないと思います。
しかし、その逆は必ずしも真ではないんです。

僕は、確かに鉄道で旅行するのが好きです。「旅行」までいかなくとも、乗ることが好きです。しかし、あの手の雑誌や本は読みません。昔(もう15年から20年くらい前)、鉄道に関する書籍を少々買ってたことはありますが、今は完全に手を引いています。
現在、僕の唯一の情報源は“時刻表”です。それ一冊あれば出かけるのには充分だから。目的地に行く列車があるか。その列車に乗るには何時までに駅に行けばいいか。それが分かればいいんです。

自由席が満席で、デッキに立ってたんです。去年 金沢から秋田に帰ってくるんで乗った時は、それこそカッコウが鳴いているような車内だったのに、いざ廃止となったら急にみんな人情が厚くなるのね。もっと前から乗っといてやりゃ良かったよ、とか思ってました。

秋田駅で雪によるポイント故障があったとかで、しばらく列車が止まっていた時です。僕に話し掛けてきた人がいました。言葉から、関西方面の人と分かりました。この列車に乗るために家を出てきたと一目で分かるような僕の恰好を見て、仲間だと思ったのでしょう。
で、二言三言交わすうち、その人はこんなことを言い出しました。

「鉄道ジャーナルの99年2月号みたいなことにならなきゃいいですね」

さも、こっちもその記事を知っているのが当然といった口調です。

僕はそんなもの知りません。

確かに 大阪に行く用事もないのに乗り込んできた変なヤツではありますが、みんながみんな それらの雑誌に目を通していると思うのは大きな間違いです。
きょとんとしている僕に その人は、その雑誌のその号には、取材チームが大雪で秋田県の羽後本荘(うご ほんじょう)駅で足止めを喰らって取材をやり直したエピソードがあるのだと教えてくれました。それを聞いて初めて、僕は意味が分かった次第です。

それからしばらくして、新たにもう一人、そこのデッキで知り合えた人がいました。京都の方のようでした。
その人と始めの人が交わす会話から、僕は完璧に取り残されていました。

車両の形式なんかの話になってたんです。
この「白鳥」の車両のことを、彼らは「ヨンパーゴ」と言います(485系という数字がついている車両なのです)。そんな言い回しは初めて聞きました。軽い衝撃を覚えていた所へ「ニーイチイチ」だの「イチサンゴ」だの「パーニ」だのと、ワケの分からん数字が次から次へと出てきます。どんな車両のことなのかさっぱり分かりません。

そのうちに僕に向かって、今日のこの編成の数字はメモしたかと訊きます(各車両には、485-131などと固有の番号がついていて、どの番号の車両が繋がっているのかというのを記録しておくのは、ファンにとっては重要な行為なのです。特にこの日の「白鳥」は、客が増えることを見越して 普段9両編成で走る所を11両に増結していたので、その事実がファン心理を大いにくすぐっていました)。

僕はそんなことしません。

確かに「白鳥」を名残惜しんで乗り込んだ変なヤツではありますが、みんながみんな そういうことに興味を持っていると思うのは大きな間違いです。
車両の形式などの知識を豊富に蓄えている人は、乗ることもおそらく好きでしょう。しかしこれも、逆は必ずしも真ではないんです。

車内は、それこそ鉄道ファンの寄り合いみたいになっていて 色々な人がいました。
しかし、自分のマニア心を満足させるためだけに、込んでいる車内をあっちへ行ったりこっちへ行ったりするのは、あんまり褒められた行為じゃないと思います。純粋に移動手段として利用している人たちに対し、ただでさえ「混雑させた」という形で迷惑をかけているのに、車掌さんに記帳をねだったり、車内放送や走行音を録音しようしたり、写真を撮影しようとしたり、そのたびに席を立って動き回る。

どういうもんでしょうね?

車掌さんたちも大変だったと思います(つまり、日付や列車名や車掌さんの名前をこのノートに書いてくれないか などと頼んでくる人がいっぱいいるんです。始めの鉄道ジャーナルで僕を困惑させた人に至っては、録音をするために「こういうことを喋ってくれないか。ココの地点で放送を入れてくれないか」と車内放送に注文をつけていました)。


「鉄道が好きです」なんて言うと、こういう人たちと同類に思われてしまいかねないので困ります。
自分たちの趣味の相手は公共物なのだと、もっとしっかり認識しましょうよ。そこには、色んな人が一緒に乗ってるんです。

繰り返して書きますが、全体としては楽しい道中でした。ただ改めて、車内での行動には節度をと、心に誓ったのでした。


2001年2月13日(火)

秋田に帰ってきました。


2001年2月14日(水)

今日の薀蓄。

一般に、自動車と飛行機では飛行機のほうが安全であると言われています。
飛行機事故に遭う確率は自動車事故に遭うのより低いと、まことしやかに語られることがよくあります。

しかしながら、次のような研究結果があるそうです。

死亡事故発生率
時間あたり輸送距離あたり
自動車1000万(107)走行時間に1回程度1億(108)km 走行して1回程度
定期航空100万(106)飛行時間に1回程度10億(109)km 飛行して1回程度

遠藤信介著「航空安全と航空機の設計と整備」 〈『航空技術』(日本航空技術協会) No.420 1990年3月号〉 より
(ここでの“自動車”には、自家用車のほか、バスやタクシーなども含む)

つまり、輸送距離で考えれば 確かに死亡事故を起こす率は飛行機の方が一桁低いのですが、時間で統計を取るとそれが逆転して自動車の方が一桁少なくなってしまうのです。

どう考えるべきでしょうか。僕には分析や判断ができません。飛行機と自動車、どっちが安全かなどという議論は、結論が簡単には出ないわけです。

唯一言えるのは「人間は必ず事故を起こす」ということです。機械がいくら発達しようとも。


2001年2月15日(木)

現在、午後11時40分。

これから出勤です。昼間も仕事。夜も仕事。


過日の一覧へ戻る


home


written by tardy@k.email.ne.jp