「二つの“龍”」・気仙沼と竜飛崎

2日目

2000年10月8日(日)

気仙沼 〜 (大船渡線) 〜 一ノ関 〜 (東北本線) 〜 青森 〜 (津軽線) 〜 三厩 〜 (徒歩) 〜 竜飛崎


寝過ごした!

気が付くと、空がしらじらと明るくなっていました。
「ハッ」と思って腕時計を見ると、5時を20分ほど回っています。「しまったー!」

というのも、今日は、一気に青森県は津軽半島の先端まで行ってみよう、などと途方もない事を考えていたからなのです。
なるべく早く現地に到着したい。そのためには、気仙沼を一番列車で出たい。
気仙沼を一番早くに出発する列車は、5時38分のやつです。それに乗れば、午後12時40分くらいには、竜飛崎への下車駅、三厩(みんまや)に着けるはずでした。

実は、寝ていた公園は、気仙沼の駅からは少々距離があったのです。1日目のページに書いたとおり、気仙沼駅は市街地から離れています。公園があるのは、その市街地の中心近くの住宅街でした。駅まで、歩いて30分はかかると見込まれました。
なので、寝る前に「明日は5時前には起きなきゃいかんぞ」と思っていたのです。それが……

急遽、予定の変更をしなければいけません。次の列車は6時9分。そうすると、今日は休みの日で新幹線が一本なかったりするので、三厩に到着するのが午後3時すこし前になるようです。

あろうことか、この朝は冷え込んだので、寝袋には朝露がびっしりと付いています。タオルでそれを拭ったりしているうちに、時間が過ぎていきます。早くしないと、二番列車にも遅れそうな勢いになってきました。
時間があれば、陽射しに当ててゆっくり乾燥させる所なのですが、とにかく駅に向かわなければと、エアーマットを片付け、伸ばしたままの寝袋を、巨大な襟巻きよろしく首に引っ掛けて歩き出しました。
日曜日の早朝だったので、人通りや車通りも少なく、あまり変な目では見られずに済んだのですが、異様な恰好であったことは確かです。

6時過ぎ、気仙沼駅に到着。とりあえず、だいぶ乾いたみたいだったので、寝袋は丸めて袋に入れます。待合室には、地元のおばさんたちが沢山いましたが、ずいぶんのんびりしている所を見ると、どうやら僕が乗ろうとしている列車には乗らないようです。
フリーパスの切符を駅員さんに見せてホームへ。列車に乗り込むと、さすがに乗客はあまりいません。座席がガラ空きなのをいい事に、また寝袋を広げて、若干残った湿り気を取ろうと画策しました。

摺沢(すりさわ)の駅あたりから、人が増えてきました。寝袋もすっかり乾いたようです。


北へ

一ノ関で、今度は東北線の普通列車に乗り換え盛岡へ。盛岡からは「スーパーはつかり3号」で、一息に青森行きです。何がスーパーかと言えば、車両が新しい。所要時間も、若干短くなっているみたいです。

東北線の盛岡から先は、新幹線が伸びた暁には第3セクター化という話です。車窓から着々と進む工事の現場が見られるところが、数多くあります。この「はつかり」も、あとどのくらいの間、走っているのか。


今も、北海道への玄関口

青森で、1時間半ほど時間が空きました。

かつては、ご存知の通り、青函連絡船の駅でしたが、桟橋へ伸びていた通路は途中で切られ、埠頭には動かなくなった「八甲田丸」がいるだけで、北海道へ渡る駅としての役割は終わったかのように見えます。
しかし、青森駅のホームには、「函館」と行き先の書かれた列車が、それこそ、ひっきりなしにやってきます。形は違えど、立派な北海道への“連絡船”です。青森は、今でもやはり「北海道に一番近い駅」なのだと、実感しました。

― 青森駅、1番ホームから ―(青森駅1番ホーム。右に見えるのが「八甲田丸」。連絡橋は、線路を跨いだところで切られている)

― 5・6番線にて ―(5・6番ホームのコンクリートには、「→連絡船」の表示がうっすらと残っています)

それにしても腹が減った。無理もありません。今朝は慌てていたおかげで、何も食べていませんでした。駅を出てすぐの所にある食堂に、それこそ吸い込まれるようにして入り、とんかつ定食を注文。あっという間に平らげます。

食べ終わっても時間はたっぷりあるので、駅周辺を歩き回ってみることにしました。
商店街。けっこう立派です。人通りも多いです。人の中に、僕も含めて、観光客がかなり混じっているとは思いますが。
裏通りへ入ると、さすがに人影がまばらになりますが、冬は雪に閉ざされて、いかにも寂しそうになる街(と聞いた。その点は秋田も似たり寄ったりですが)も、秋の穏やかな陽射しのもとで、のんびりしていました。


もっと北へ

津軽線に乗り換え、さらに北に向かいます。以前は、北の地を走るローカル線に過ぎませんでしたが、青函トンネルが出来てから、特急列車や貨物列車がバンバン通り過ぎる賑やかな路線となりました。
もっとも、僕が乗った各駅停車は、地元の人の足として利用されているだけの、なんでもない列車です。途中の蟹田(かにた)で、もう一つ北へ向かう列車に乗り換えます。輪をかけて地味な列車となります。乗客もほとんどおらず、途中駅での乗り降りもほとんどありません。北海道へ向かう津軽海峡線に別れを告げ、津軽半島ののどかな景色の中を進みます。


終着から先

三厩の駅につき、列車を降ります。この三厩駅も、村の中心部からは少し離れた場所にあり、駅周辺に目立つものはありません。

さて、目指す竜飛崎は、ここからまだ北にあります。
駅前の標識、『竜飛崎 14km』。

よっしゃ。いっちょ、歩いてやるべ。

― 旅程 ―

時刻は午後3時を回っています。一時間に4kmとすると、3時間半。こりゃあ、着いた頃には日が暮れてるぞ。でも、地図で測ってみたら10kmぐらいしかなかったんだけどな。道が曲がりくねってるからかな。

なんにせよ、ぐずぐずしていられません。大荷物を背中に、駅前の一本道を出発しました。竜飛崎へは、海沿いの道と、その一本内側の山の中の道があるようですが、海沿いの道のほうが、集落がいくつかあったりして面白そうです。

まず、三厩村の市街地(?)を通り抜けます。人が居ません。いや、居ないことはないですが、本当に疎らです。家・建物は結構建っているのに、みんなどこに行ってしまったのでしょう。シャッターを下ろしている小さな店も沢山あります。
港に出ると、それでも、少し活気が現われてきました。若い漁師の方が、みんなで魚の水揚げをしたりしています。

海岸線の道を、北へ向かって歩きます。標識には、国道339号線とあります。
車が、かなりの数、僕を追い越していきます。この先、辿り着く場所と言えば竜飛崎しかないはずなので、これらの車は、みんなそこへ向かっているのでしょう。地元の青森ナンバーが目立ちます。3連休の中日ですから、どこかに泊まって、明日、のんびり帰ってこようというところでしょうか。


津軽海峡を望みながら

実は、三厩の駅から竜飛崎までは、バスも走っています。名前の付いた集落に行き当たるたびに、バス停があります。しかし、そのバスに乗って一気にこの道を走り抜けてしまうのはつまらないので、てくてく進みました。バスには、また帰って来るときに乗れば良いでしょう。

この辺りは、やはり漁業が主のようで、岸に並ぶ家々の前には、小さなボートや、魚を取る網や、そんな漁の香りのするものが置いてあります。

さて、どんどんどんどん歩いているうちに、ひとつ気になる景色が見えてきました。
海の向こうに陸地が見えるのです。
はじめは、同じ青森県の下北半島が見えているのかと思っていました。しかし、ふと地図を見ると、この三厩村から下北半島は、そうたやすく見えそうにないことが分かりました。方角も、違っています。これから行こうとしている方に見えています。
ということは……
あの陸地は、北海道に違いありません。
そのことに気付いたとき、驚いてしまいました。

― 道中。向こうに見えるのは北海道 ―「へえー、こんなに近くに見えるのかー」
考えてみれば、「トンネルを掘ろう」と思い付いて、それを本当にやってしまっているくらいだから、海の向こうまでそんなに遠くは無いはずでした。でも、北海道は遠い、と思い込んでいるせいか、やたら感心したり。

だんだんと竜飛崎は近付いてきます。
しかし困ったのは、道端や道の上に時折現われる『竜飛 ○○km』。数がやたら減ったかと思うと、10分ぐらい歩いて現れた数字がさっき見たのと変わらなかったり。
車に乗って走っているぶんには、1〜2kmの誤差は大して気になりませんが、歩いている身にはこたえます。2km違えば、30分近くの時間差があるわけですから。
おそらく、標識によって設置した人(?)が違うので、ばらつきが出るのでしょう。

ある集落のところで、地元のおばあさんに声を掛けられました。

「たいひんだなぁ、あるきだば」 (※訳:「大変だね、歩きだと」) (うー、あの微妙な発音は文字では書けない!)

自然とこちらからも笑みがもれます。
でっかい荷物を背負って歩く僕の姿、珍しかったのでしょう。ありがとうございます、おばあさん。

そんなこんなで、3時間ほど歩くと、見えてきました。“北の外れ”が。― 竜飛まで3km ―

しかし、相変わらず海の向こうには北海道が見えていて、今いる所が外れの地であるような気にはなりませんでした。

そして、到着とほとんど時を同じくして、日が暮れていきました。辺りを歩き回るのは明日にして、今日はもう休みましょう。
しかし周辺には、食事が取れそうなところがありません。こうなることを半ば予期して青森市街のコンビニで仕入れた、弁当を開きます。ついでに、そのとき座っていたベンチを、今晩のねぐらにすることにしました。
竜飛の海を見渡せる、眺めのいい場所です。空を、灯台の明かりが横切ります。
時折、「津軽海峡冬景色」のメロディが聞こえます(歌の碑があって、人が前に立つと音楽が流れるようになっている)。子守唄にはちょっとそぐわないのですが、いつしか眠りに落ちていました。

― 海の向こうの漁り火 ―(この日の寝床から見えた漁り火。水平線に並んでいました。夜の間、ずっと)


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