「二つの“龍”」・気仙沼と竜飛崎

3日目

2000年10月9日(月・祝)

竜飛 〜 (バス) 〜 三厩村役場 〜 (徒歩) 〜 今別 〜 (津軽線) 〜 青森 〜 (奥羽本線) 〜 秋田


蚊が……

明け方、蚊の羽音が耳元でしました。
こんなに冷える時期まで飛んでなくたっていいじゃないか、と思いつつ、目が覚めてしまいました。見ると、かなりの数がぷんぷん飛んでいます。ま、野外で寝るときは、これぐらい。ちょっと刺されたかな。

昨日から、すっきり晴れているわけではなかったのですが、今日はまた一段と曇っています。雨でも降るんじゃあるまいな。ただ、それだけ冷え込まなかったようで、昨日の朝のように朝露には悩まされませんでした。


朝の竜飛崎

日没のためにほとんど堪能できなかった竜飛崎を、今日は歩き回ってみることにします。

まずは、寝ていた場所の近くにある、青函トンネル工事で命を落とした方々の慰霊碑の前へ。慰霊碑は、北海道を向いて作られています。前に立つと、その視線の先は、北の大地です。ただ、この日は、海の向こうは曇っていて、陸地は見えませんでした。
工事の完成を見ずに潰えて行った人を思うと、言葉が出てきません。
ぽつぽつと、雨が降ってきました。折りたたみの傘を開いて、頭の上にかざします。雨は、そのまま、ほとんど勢いを変えませんでした。

次には、いよいよ灯台へ向かいました。岬といえば灯台です。灯台があるだけなんですけど、でも、行かずにはいられない。

その途中「階段国道」を通りかかりました。
観光ガイドなんかには必ず載っている階段です。
国道339号線は、三厩村中心部を出発し、海岸線を北上して竜飛崎を回り、今度は南にずうっと下がって五所川原(ごしょがわら)市を通り過ぎ、最後は藤崎町というところで国道7号につきあたります。
この339号線、どうしたわけか、この竜飛崎のところで階段になっているのです。当然、車は通れません。全国でも、国道がこんなになっているのはここだけだそうで、竜飛の貴重な観光スポットです。

― 階段上部 ― ― 階段下部 ― ― 住宅を縫う ―
物珍しい階段ですが、地元の方にとっては単なる生活の場でありました。中腹に畑があって、籠を背負って作物を運びに登って来ているおばあさんがいました(最初の写真)。
また、いちばん麓の所は、普通の家の間を通っていて、どう見ても下町の裏通りです(3番目の写真)。でも、立派な“国道”なのでした。

僕は階段の一番上のところを通りかかったのですが、いったん階段を下まで辿って、また上まで登ってみました。段数は、約375段(“約”というのは、段に入れるべきかどうか微妙な段差があったりするので)。いつの間にやら、雨は止んでいました。

“竜飛埼灯台”― 灯台 ―

竜飛の集落― 灯台の根元の集落 ―


海の歌声

岬の西側へ回り、東側へ行き。
気の済むまで歩き回ったので、そろそろここはおいとましようと思いました。

竜飛の集落の所にはバス停があって、三厩駅方面の便に乗れます。
この日の行程は、実質的に秋田に向かって帰るだけです。
三厩〜蟹田間の津軽線は、一日上下5本しかありません。8時台の列車の次は、13時になります。今の時刻が9時過ぎ。これから三厩駅方面へ出て行って、今度は、昨日あたふたと通り過ぎた村中心部をうろついてみよう、ということにしました。ついでに、食事の取れるところを探しながら。

岬の上のほうから、麓の集落へ降りてきました。そして、バス停へ向かっていく途中、ひとりの女性を目にしました。

― 海へ唄う ―
その女性は、海の上に居ました。海岸から、岩場を伝って歩いていました。
いまや、古風と言っていい出で立ちをしていました。
水を見たり、沖を見たり。あちらこちらと歩いていました。

そして、なにか唄っていました。地元の民謡でしょうか。
穏やかな波の音と、その人の歌声が、僕の耳に聞こえていました。
漁に出て行った家の者を待っているのか。はたまた、ただ唄の稽古をしていたのか。
前にあるのは、広い広い海です。歌声は吸い込まれて消えて行きそうに思えました。でも、澄んだ音は、本当にしっかりと、海の上を通って僕の所まで届いて来ました。

― 海へ唄う人 ―(望遠レンズを持っていなかったので、近付いた写真は撮れませんでした。上の写真の真ん中の所を拡大したものを次に載せます)


南へ戻る

予期せぬ音楽の余韻とともに、バスで、昨日歩いて来た道を戻ります。

そして、駅までは乗らず、「三厩村役場前」のバス停で降りました。ここからまた、散歩を始めようと。

村役場を見て、驚きました。
― 三厩村役場 ―
普通の家みたいです(写真は、ほぼ全景です。ある部分を切り取ったわけではありません)。

昨日歩いたときは、この建物の裏手を通りました。少し手前に、この先に役場という標識があったのですが、まさか、これじゃないよなと思っていたんです。
しかし、役場前のバス停は、この建物の前にあります。建物には村役場の表示が見当たりませんが、入り口に掛かるアーチを見る限り、どうやら間違いなさそうです。
いくら行政にカネをかけないといっても、これは…… なんだか、村の活気の程度を、この建物が象徴している感じがしました。

そして、駅の方角に歩きます。
また、港を通りました。北海道の福島町まで行くフェリーは、この時期、休航しています。
村の体育館があります。中で何か行われていたのか、灯りが点いているのは見えました。

住宅が立ち並ぶ地域を通り過ぎます。だんだんお腹の減りがこたえてきたのですが、開いているお店がありません。
駅前の食堂も、準備中。

こうなったら、お店を探してとことん歩こうと、変にムキになりました。
そうだ。隣の駅まで行ってみよう。時間はたっぷりある。歩くうちに、なにかあるだろう。
そんなわけで、隣の今別(いまべつ)町の方角へ、海辺の道を歩き始めました。
339号線からつながる280号線は、内陸へ入った所を通ります。観光客の車はみんなそっちに行くので、海沿いは車を気にせず歩けます。

途中の浜辺で一休みしました。
― 小石の浜 ―
詳しい地図を持っていないので、浜の本当の名前は分かりません。
砂浜ではなく、小石が敷き詰められた浜辺でした。波が打ち寄せて引いて行くとき、沢山の小石が一斉にぶつかりあって、不思議な音を立てていました(この文章だけで想像していただけるでしょうか? なんとか擬音にしてみたいと頭を絞ったんですが、いいのが思い付きません。カラカラカラカラカラ……でもないなぁ)。

そしてその後、ずんどこ歩いて行ったのですが、なかなか食事のできるお店がありません。ようやく見つけた一軒のラーメン屋さんは閉まっていました。
そうこうしているうち、隣の津軽浜名(つがるはまな)駅は通り過ぎてしまいました。

今別の役場のそばを過ぎます。街の中心部であるはずなのに、相変わらず、開いているお店はありません。お蕎麦屋さんが一つあったのですが、暖簾は出ていませんでした。
もう、今別駅まで行って何も無ければ、青森まで我慢しようと覚悟しました。

すれ違う車や人もほとんど無く、本当に静かな街並みでした。
今別の駅に着くと、駅前に食堂があり、開いていました。飛び込んで、チャーシュー麺とライスを注文。お店の人があんまり愛想よくないので、聞いてもらえたか心配でしたが、頼んだ物はきちんと出てきました。店のテレビでは、ちょうど、お昼の番組が流されていました。


帰路

今別を13時11分に出る列車で、帰路につきます。
― 時刻表 ―
(写真は、津軽浜名駅の時刻表。ご覧の通り、一日上下5本ずつの列車が通るだけです)

蟹田で、ちょっと色気を出して、快速「海峡6号」に乗り換えてみました。海峡という名の列車に乗って海峡を通らない、のはさておくとして、満員でした。なんでこんなに人が居るのと思うくらい。津軽線の、ほとんど貸切の列車に、体が慣れてしまったのかな。

青森からは、特急「かもしか4号」で、秋田まで一直線。
秋田につく直前(「ご乗車ありがとうございました」の放送も済んでいた)、何かのアラームが鳴ったとかで列車が止まりましたが異常は認められず、夕方6時半少し前、無事に秋田に帰ってきました。


最後に

表題の「二つの“龍”」ですが、一体どういうことかというと、一ノ関から気仙沼まで乗った大船渡線が「ドラゴンレール」と愛称を付けられていて、それと竜飛崎と、“龍”が二つあったと。
ただ、なぜ、あの線がドラゴンレールなのか、ハッキリした根拠は分かりませんでした。


2日目

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written by tardy@k.email.ne.jp